正門の外に「舞鶴重砲兵連隊跡」の石柱が立っています。

ご存じ日星高校は、アノージュ神父が1929年に西舞鶴カトリック教会の中に

裁縫女学院を設立しましたが、戦火厳しき中、一旦閉校を余儀なくされ

戦後この地で再開されたのです。

この地は、「舞鶴重砲兵連隊跡」

日清戦争(1894年~1895年)が終わった翌年 明治29年(1896年) 

日本は軍備拡張路線になり

舞鶴要塞という軍事基地と要塞砲兵大隊の創設決定

全国に6個連隊(横須賀、由良(淡路島)、呉、下関、芸予、佐世保)

と4個大隊(舞鶴、函館、基隆、澎湖島(台湾)が設置

明治31年(1898年)新兵舎が、この地に完成、周辺の山に大砲を設置し

要塞を守る役目を始めた。

その後、明治40年(1907年) 舞鶴重砲兵連隊と改称

敗戦後、この地を譲り受け、日星高校が開校


現在の正門(門柱は白く塗られている)

重砲兵連隊の正門 門衛所が写る写真(本校蔵) 

石柱は、赤煉瓦である。山の形は修正されている。