この夏、2冊の小説を読みました。
「告白」(湊かなえ)と「木暮写真館」(宮部みゆき)

今日は、「告白」の紹介をします。
中学校の先生の悠子先生の子供が、学校のプールで死亡するという事件。
事件の被害者でもある悠子先生が担任のクラスで語る 終業式の告白から始まる。
退任のあいさつの中で、「犯人はこのクラスの生徒です」との先生の告白、次の告白は「犯人である生徒のミルクにエイズ患者である夫の血液を入れた」という告白   章全部が先生の告白=語りという作者の言葉の力を感じる。

第一章 聖職者:悠子先生、第二章  殉教者:女性との美月、第三章 慈愛者:犯人である中学生直の姉、第四章 求道者:犯人の一人直、第五章 信奉者:もう一人の犯人哲哉、第六章 伝道者:直の母親 という6つの告白。だれかが書評で書いていたが、「スピードと恐怖」で一気に最後まで走る。
 はじめに「おや」疑問に思った事柄が、あるいは何でもなかったことが、次の当事者の告白で どんどん、いえ、サスペンスドラマのように「実は」という形で事実が明らかになっていく。
立場を違えてみると事実は全く違った物として見える手法に「うーーん、そうだったのか」と核心に迫っていくぞくぞくする読み物でもあった、
 中学生の心の闇の深さに寒々としたものを感じ、また、「熱血」教師の「一生懸命さ」が、実は生徒を追い込んでいくことにあらためて「がーん」とショックを受ける。
 子供を失った女性の決してとけない氷のような心につきあたってしまう終末は、決して後味のよいものではない。私が感じたのは、子供を殺された悠子先生も犯人である二人の中学生も母親の愛を求めるという一点で共通しているんだと。様々な犯罪の根底に子供の母親へのかなえられない愛と母親のまっすぐな愛とがある事実にも震撼とさせられる。
 映画「告白」も見てきたが、ストーリーを映像にするという点で可視化された小説だった。中学生の心象を映像化するとあのようになるのかなと思う。みんな一人ぼっちで、孤独で不安で、だから、はぶられないようにつるんでいなくてならず、常にケータイのメールで悪も走る。今の高校生もまたこんな深い闇に半分足をつっこんでいる。それを救うのは、きっと「愛」なんだけれど・・・。人は、愛が求められないと生きていけない生き物であるのかもしれない。
 当事者の「告白」で次々と事実が明らかになるという手法は、やはり小説がまさるというのが私の感想。