東京駅に着く。京都から新幹線で二時間半。
東京駅の印象は、「暗い」
通路の電気は、半分は消されているし、広告やおみやげ店の肝がんの電気も消えています。エスカレータも上下とも停止しており、高齢者や大きなバッグの人は正直大変。
やっぱり関東と関西では温度差があります。
阪神淡路大震災の時は、きっと関東からは遠い出来事。今回は関西から東北は遠い。その距離の差が、こうした節電の差にも表れています。
(もっとも計画停電なども東京電力がやっぱり原発がないと不便だと感じるように仕組まれたという週刊誌も記事も気になるところですが。)
山手線で上野に向かう。
電車の中の添乗の蛍光灯も2~3割の蛍光管がはずされていました。

私たちは、明るい暮らしを求めて電気をふんだんに使ってきました。
「オール電化」で「快適生活」その結果が原子力への依存を生んだとも言えます。だから事故が起こったからと手のひらを返したようには批判できません。
「千と千尋」の顔なしが、人間の欲望を飲み込みどんどん大きくなってしまった姿と爆発で無残な姿をさらす福島原発が重なります。わたしたちの再現のない欲望の形。原子力は安全とすり込まれ、便利さを享受してきた私たちの暮らし。そこを変えるのはとても困難な道かも知れません。
ただ、あまりに無頓着に電気をつかってきた生活スタイルとはさようならをしていいのではないでしょうか。