3月11日は、閖上中学校の卒業式、午後は閖上公民館で謝恩会が行われていました。津波が来るというので、公民館の2階にあがり、やはりここではまずいと中学校に避難しようとした(約1Kmくらいの距離)
間に合わずにたくさんの方が、津波にのまれてしまったそうです。
ちなみにこの公民館は、「地球のステージブログ7月11日」に出てくる「おばけの出る」
場所、おばけになった姿でもいい家族に会いたいという思いが「おばけ」になる。
切ない話です。

閖上中学校に行く

 

 

 

 

 

中学校の時計は3:45分で止まったまま。

 

 

 

 

 

学校玄関前の植え込みの「希望の松」が枯れていました。

閖上中学校は11日800人もの近所の方が避難され、当座の避難所として運営されたそうです。  以下に教頭先生の奮闘が書かれています。(時事通信3月12日)
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津波迫る「3階に上がれ」=剣道着やカーテン、避難者に―海辺の中学、緊張の一夜
時事通信 3月12日(土)16時58分配信

「ごみと一緒に黒いものがゴーっと…」。テレビで見たスマトラ地震の津波の光景が、脳裏によみがえった。東日本大震災で、津波被害にさらされた宮城県名取市のある中学校は、800人の避難者を守るため奮闘した。同校の教頭が12日、余震と寒さに震えた一夜を振り返った。

地震の揺れを感じたとき、市立閖上中学校の熱海智教頭(58)は卒業式を終え、3年生48人を送り出したばかりだった。直後から周辺の住民が続々と自動車などで避難。散らかった教室を片付けて、避難者の受け入れを始めた。

繰り返す大きな余震に「津波が来る」との声が上がった。しばらくして津波が押し寄せ校舎1階は1.5メートル近くが浸水した。「3階に上がれ」。熱海さんらは必死に最上階に誘導した。

3階から外を見ると、津波に乗って漁船がすーっと流されていった。近くの名取川が河口から逆流し、濁流が堤防を乗り越えた。「これはやばいな」。熱海さんは恐怖を覚えた。

流された民家の屋根によじ登って助けを求めた女性が見え、校舎に引っ掛かった屋根から、職員が必死に女性を助け上げた。別の女性が流される姿もあったが、助けることはできなかった。

津波が落ち着くと、約800人の避難住民の名簿をノートに作成。雪が降り「とにかく寒かった」という。倉庫から毛布に加え、教室のカーテンを外して渡した。ずぶぬれの人の着替えとして、給食当番の白衣や剣道着なども提供。12日は余震と寒さで、一睡もできず朝を迎えたという。

避難住民は徐々に内陸の公民館に移されているが、人数の多さに「夜までかかる」と熱海さんは困った顔を見せた。