チアリーディング部、夏合宿に行ってきました!

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ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
まだまだ夏の暑さが続きますが、お変わりないでしょうか?
チアリーディング部も暑さに負けず頑張っています!
本日はそんなチアリーディング部の夏合宿の様子を少しご紹介したいと思います。

合宿は17・18日。
場所は顧問の池田先生の母校である同志社大学同女子大学。
チアリーディング部での初めての合宿にワクワクドキドキしながら京都へ向かいました。
体育館に入った瞬間の大学生の元気と笑顔に最初は圧倒されてしまった!・・・なんてこともありましたが、すぐに気持ちは「私たちも負けていられない!」「あんな風になりたい!」と変わりました。大学生と一緒に練習をしたり、横で練習する大学生を見たりする生徒たちの目は、素直に「チアが楽しい」「上手になりたい」という思いでキラキラと輝いていました☆大学生の一言一言、練習への姿勢や態度、パワーそして笑顔からたくさんのことを学んで、無事学校へ帰ってくることができ、有意義な合宿になったと実感しています。

大学を出発する際には大学生に「がんばってね」「またきてね」と見送られながら大学を出発しました。
帰りのバスでは大学生のこと、合宿のこと、たくさん話をしながら・・・深い眠りについていました。一生懸命頑張ったから、疲れたいたんですね(笑)・・・気がついたら学校に到着。「帰ってきてしまった~さみしいなぁ」といいながら生徒たちは帰宅していきました。
筋肉痛の足をひきづる背中は昨日学校を出る時よりも一回り大きくなった・・かな?
まだまだスタートしたばかりのチアリーディング部ですが、まだまだ成長中のチアリーディング部です!次は文化祭の発表に向けて猛練習中です!!
これからも乞うご期待!そしてあたたかいご声援の程よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

では、皆さまもお元気にお過ごしください。

鎮魂と祈りの仙台 七夕

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仙台の七夕まつりは8月6・7・8の3日間行われました。
鎮魂と祈り そして希望の七夕飾りの街

仙台市荒浜海岸の被災

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名取市から北にあがる。ここらあたりは、10mの津波ですっかり水没した地区
住宅街の真ん中にあった学校
今は、がれきとなった家が片付けられて礎石だけが家の名残
なんにもない中に荒浜小学校だけが立っていました。体育館の屋根まで津波がきたという。

校舎の壁には学校からのメッセージがかかげられていました。

高齢者施設も大きな被害が

海岸の松林がなぎ倒され、田んぼの中に そこに咲いた一輪のひまわり 

仙台港の工場も

終戦記念日に

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終戦記念日のニュース、正午の黙祷を特別な思いをもって目をつぶる。
去年までの終戦記念日は、確かに戦後でした。終戦という区切りから復興への希望があった。
しかし、今年の終戦記念日は、まだまだ戦いのただ中ではないか。
津波の被災地では、明日はまだ見えない。生活を立て直す家が建てられない。
福島では、少なくなったといえ今なお、原発から放射能が出続けている。
まさに闘いのさなかであり、原発疎開をしている人にとっての戦後はいつくるのだろうか。
私の友人から転居の葉書が届く。飯舘村に住んでいた彼は、初めて自分の意志以外で転居をよぎなくされたと記されている。
ふるさとにいつ帰れるのか。1年後、3年後、10年後 それすら見えない今のくらし。
福島のある私学が、原発疎開で生徒数が激減して廃校になるというニュースも入る。
私たちの希望は、私たちの中から生み出さなくてはならない。
祈りの中から希望を見いだす努力がなされている。
関心を持ち続けること。そして、私たちがそれぞれの場でできることを
そして、何よりも精一杯生きることでできる連帯を求めたいと思う今日。
こうした思いを生徒たちに伝えたいと思う。

TVのインタビュー。「今日は何の日か知っていますか?」
「知らない」なんて言わせるものか。

閖上小学校体育館は遺留品の置き場

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閖上小の生徒は、一旦3階に避難したあと、津波がこないかと体育館で帰宅準備に入っていました。
保護者に引き渡しの前に「津波がグランドに!」という声で、再度3階に避難。危機一髪で全員無事
かぜで休んでいた1名の生徒が亡くなったそうです。
体育館の入口に残された泥でよごれたままのランドセル

閖上小学校の体育館は、津波で流された大切な「記憶」の遺留品置き場になっていました。
たくさんのアルバムや写真 卒業証書などがとりに来る人をまっています。
閖上地区では4人に1人がなくなったといいます。持ち主が亡くなられたのかそれとも
生活がいっぱいで余裕がないのか・・・

閖上小学校

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閖上小学校 校庭のバックネットがぐにゃりと曲がっています。
校舎には、自由に出入りできる。廊下は、泥がきれいに洗われていました。

ここまで水がきた。

 

 

 

 

 

 

家庭科室の窓ガラスの中程から下に、茶色い筋が残っていてここまで水がたまったいたことがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

閖上小学校では、子どもたちが津波が来るというので3階に避難していました。
迎えにきた保護者には渡さず、いっしょに3階に上がっていました。
停電になり情報がラジオとワンセグだけになっていました。
けれど津波到着予告時刻を過ぎても津波がやってこないという噂になり
100名ほどの親子が体育館におりることになりました。
そうこうするうちに2階にいた保護者が校庭に様って来る津波を目撃し
体育館にかけおり、「津波だ、逃げろ-」と叫びました。
みるみる運動場を埋めた水。間一髪で助かったそうです。
学校を休んでいた1名の児童が犠牲になりました。
(以下のUtubuに閖上小のせまる津波と保護者の方の証言があります)

また、被災前と被災後の閖上小中などの写真が掲載されています。

閖上公民館~閖上中学校へ

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3月11日は、閖上中学校の卒業式、午後は閖上公民館で謝恩会が行われていました。津波が来るというので、公民館の2階にあがり、やはりここではまずいと中学校に避難しようとした(約1Kmくらいの距離)
間に合わずにたくさんの方が、津波にのまれてしまったそうです。
ちなみにこの公民館は、「地球のステージブログ7月11日」に出てくる「おばけの出る」
場所、おばけになった姿でもいい家族に会いたいという思いが「おばけ」になる。
切ない話です。

閖上中学校に行く

 

 

 

 

 

中学校の時計は3:45分で止まったまま。

 

 

 

 

 

学校玄関前の植え込みの「希望の松」が枯れていました。

閖上中学校は11日800人もの近所の方が避難され、当座の避難所として運営されたそうです。  以下に教頭先生の奮闘が書かれています。(時事通信3月12日)
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津波迫る「3階に上がれ」=剣道着やカーテン、避難者に―海辺の中学、緊張の一夜
時事通信 3月12日(土)16時58分配信

「ごみと一緒に黒いものがゴーっと…」。テレビで見たスマトラ地震の津波の光景が、脳裏によみがえった。東日本大震災で、津波被害にさらされた宮城県名取市のある中学校は、800人の避難者を守るため奮闘した。同校の教頭が12日、余震と寒さに震えた一夜を振り返った。

地震の揺れを感じたとき、市立閖上中学校の熱海智教頭(58)は卒業式を終え、3年生48人を送り出したばかりだった。直後から周辺の住民が続々と自動車などで避難。散らかった教室を片付けて、避難者の受け入れを始めた。

繰り返す大きな余震に「津波が来る」との声が上がった。しばらくして津波が押し寄せ校舎1階は1.5メートル近くが浸水した。「3階に上がれ」。熱海さんらは必死に最上階に誘導した。

3階から外を見ると、津波に乗って漁船がすーっと流されていった。近くの名取川が河口から逆流し、濁流が堤防を乗り越えた。「これはやばいな」。熱海さんは恐怖を覚えた。

流された民家の屋根によじ登って助けを求めた女性が見え、校舎に引っ掛かった屋根から、職員が必死に女性を助け上げた。別の女性が流される姿もあったが、助けることはできなかった。

津波が落ち着くと、約800人の避難住民の名簿をノートに作成。雪が降り「とにかく寒かった」という。倉庫から毛布に加え、教室のカーテンを外して渡した。ずぶぬれの人の着替えとして、給食当番の白衣や剣道着なども提供。12日は余震と寒さで、一睡もできず朝を迎えたという。

避難住民は徐々に内陸の公民館に移されているが、人数の多さに「夜までかかる」と熱海さんは困った顔を見せた。

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