「神は私たちとおられる」(マタイ1‐23)DSC_8491

クリスマスの本当の意味

教会の暦では、12月2日から待降節が始まり、イエス・キリストの誕生を迎える準備に入ります。学校では、各学年ごとの飾りつけや幼稚園へのプレゼントづくりなどにも取り組んでいます。今年のテーマは「愛と祈り」-その実践として「東北とつながろう」の取組も始まっています。 さて、クリスマスは、私たちにどのような意味があるのでしょうか。2000年前に起こったキリストの誕生、しかしそれは今を生きるあなたと無関係なことでは決してありません。 真っ暗な夜、暗闇を吹き飛ばすにはどうしたらよいでしょうか。どんなに強力な風を送っても、暗闇を吹き消す事は出来ません。しかし、そこにたった一本のロウソクの光をもってくるならば、その瞬間に闇は消え始め、更にその火が一つ一つ増すごとに暗闇は消え去って行きます。 西暦では、紀元前B.C.( Before Christ=キリスト以前)と紀元後A.D.( Anno Domini=福音よき訪れ後)とし、キリスト誕生の時を境に、歴史が闇の時代から光の時代に大きく変化した、というのです。人間にはどうにもならないと思われた暗闇に光がともり、その光を受けた人々の心に喜びと感謝があふれ、新しい命がわき出てくる。そのような意味がクリスマスに込められています。

私たちの世界には闇があります。そして私たちの心の中にも闇があります。

誰にも言えない痛み・悲しみ、人へのねたみや疑い、けんか、無視、いじめ・・・そうした感情に支配され、日々を悩み、人を信じられない苦しみはないでしょう。

明るく振る舞っていながら一人になると不安が心に広がって休まることはない。その不安から逃れようとゲームにはまったり、だれかにつながっていたいとケータイから離れられないでいる。神様はそのような私たちの心の闇に光をともすために、また私たちをその闇から救い出し、永遠の輝きの中に生かすために来て下さったとしたらどうでしょう。 「神の一人子がこの世にお生まれになる」 「その名はインマヌエルと呼ばれる」

(訳すと、「神は私たちとともにおられる」という意味) (マタイ1:23)

3月11日の大震災、津波、原発事故。真っ暗な闇が、東北を覆ってしまいました。復興計画が進まない中で人の流出が止まらず共同体はずたずたです。それに追い打ちをかけるように放射能という見えない恐怖は、これから先もずっと私たちのくらしを脅かし続けます。世界は戦争や飢餓の中にあり、この国も先行きが見えず格差が広がっています。虐待やいじめのニュースはやみません。学校もそうした社会の中にあります。・・・何とかしようと抗(あらが)いながらどうしようもない現実の前に、気力を失い立ちすくんでしまいます。
けれど、東北で一からやり直そうとする人やそこにいっしょに立とうとする人がいます。世界中からの応援に、人の温かさと絆を感じます。「東北とつながろう」「人の役に立ちたい」と言ってくれる生徒達がいます。そこに神の業を感じ、希望と勇気を持つことができます。
私たちは弱い人間です。ともすればあきらめや絶望の底に沈んでしまいそうになります。けれど、「大丈夫」としっかりと受けとめ支えてくれる神の愛があります。
なぜなら、キリストは、私たちに希望の光をもって生まれて来てくださった。私たちの罪を背負って十字架の上で死んでくださった。そしてどんな時も私たちと共におられる。これ以上の愛はありません。
キリストの愛の中に希望を見いだし、共に力強く生きる勇気をいただくのです。
それがクリスマスの意味ではないでしょうか。
DSC_0260    (学校長 水嶋 純作)

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