宮城県の仙台空港のある町 名取市閖上地区。生徒会の3名が昨年訪問した閖上中学校の近くに「閖上わかば幼稚園」があります。
わかば幼稚園もあの津波で建物は壊滅。
残っているのはわずかなブロック塀の「~ちえん」の文字だけです。そこに子供たちの夢や希望があふれていたのです。
わかば幼稚園3

わかば幼稚園2

わかば幼稚園1

今年5月に「金スマ」でとりあげられたDVDを菊池園長先生とお出会いしたときにお借りし、一年生の「ともに生きる」の授業で見ました。みんなで感想を菊池園長先生にお送りしました。そのお返事を皆様にも紹介します。

「わかば幼稚園は、その日、卒園式で幼稚園には園児はおりませんでしたが、全員がそれぞれの場所で被災しました。走って近くの学校に逃げた子、公民館の2階で津波がじわじわ上がってくるのを見ていた子、屋根の上でお母さんと必死で津波に流されまいとしがみついていた子、学校
の屋上で津波が家や車を飲み込む様子を見ていた子、自分の目の前でお母さんが犠牲になるのを見てしまった子もいます。(少し、ショックな話でごめんなさいね、でも事実なのです)
真っ暗な学校で雪が降る中、ストーブもなく食べる物もなく、みんなで寄り添って凍えそうになりながら朝を待った子達。これは、私が避難所に安否確認で回った時にお一人ずつから聞いた話です。
そんな状況でも子ども達は私を見ると、「園長先生!」と笑顔で駆け寄ってきました。
どの避難所に行ってもそうでした。子ども達はいつも、屈託のない笑顔で迎えてくれます。それでも、おうちの方に伺うと「おもちゃで津波ごっこして遊んでばかりで」、「毎日、夜泣いて目を覚まして」、「寝てる時、足をバタバタさせて、まるで、何かから走って逃げてるみたい」と、子ども達なりに受けたショックは大きいものでした。
大人でも耐えられない死の恐怖を4・5歳の子ども達は味わってしまった。これは、一生消えない記憶かもしれません。
一週間以上経っても身元の分からない園児と先生を安置所で見つけました。「なぜ、この子達が死ななければいけないのか」気が狂いそうでした。私はこの時、何かしなければ、何とかしなければと思いました。気が付いたら「ソーラン節」の子ども達の衣装を作っていました。子ども達が一瞬でも嫌な事を忘れ夢中になって楽しめたら、大きい声を出して思いっきり踊れたら。震災前に幼稚園の運動会で踊った「ソーラン節」。これなら、子ども達もすぐに踊れる。そして、子ども達の笑顔や頑張っている姿を被災した皆さんに見てもらい、少しでも元気になってもらおうと。
震災から2ケ月後、5月5日の子どもの日、離れ離れになった友達と再会し、たくさんの人達の前で子供たちは声を張り上げ、堂々と踊りました。
その時の感動は忘れられないものでした。2ケ月ぶりの再会もうれしかったですが、みんなで一つの事を一緒にできる喜びがこんなに大きいものなんだと気付かされました。楽しい思い出が一つ増えました。又、みんなと会えるといいなあ、と。
それから、私は自分のできる事、やれる事はこれだと思いました。家には、全国からの支援物資もたくさん届いてましたので、その度に子ども達を集めては物資を渡したり、イベントを企画しました。(つづく)