朝礼時、生徒たちはこれまでしてきた”善い行い”を書きました。そしてそれを講堂の祭壇に捧げました。

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「復活と創立記念日のミサに先立って」   (校長講話)

皆さん、今日は、キリスト教の大きな記念日である復活祭と本校の創立を祝うミサの日です。キリスト教の暦では、今年の復活祭は3月30日ですが本校の創立記念日である5月1日を祝うミサをいっしょに、今日お祝いします。  月曜日、青葉先生から宗教講話のお話をききましたね。テーマは、犠牲と愛と祈り。犠牲の証としてよい行いをメッセージカードに記入し神様に奉納します。  今日は、まず、「よい行い」についてお話しします。  私は、先日、大阪に出張で京都から新快速に乗りました。結構混んでいて、優先シートの席が二席あいていたのでそこに座ろうとしました。するともう一方の席に座っていた外国からの旅行者であろうご婦人が、席をたって他の人に譲りました。私は、自分が楽しようとすることばかりで回りをみる余裕がありませんでした。なのにその外国の方は、自分のことよりも弱い人への配慮を行動で示したのです。  私も、みなさんには、いい行いをしましょうと言っていながら、いざとなると、自分優先な行動をしてしまう。外国の方の行動によって気づかされたのです。 そんな自分がとっても恥ずかしくなりました。せめてと思い、次の駅で立って席をゆずってきました。

モデルとなる行いがあるとそれに照らし合わせて自分の行動を振り返ることができます。皆さんはいかがでしょうか。

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先日、朝礼で先生からお話をきいたかもしれませんが、うれしいモデルを紹介します。    私は、FBをしていますが、友だちから「日星高校の生徒のことが書かれていたよ」ってメッセージが届きました。早速見てみますと次のようにありました。

「先程こんな光景を見ました。中学生くらいの自転車に乗った男の子3人が菓子袋などを歩道にまき散らかし去って行きました。 ( ̄□ ̄;)!!  すると日星高校の女の子2人が、どこからか現れゴミを回収しコンビニのゴミ箱に捨てに行きました!   親のしつけか?学校の教えか?やっぱり1番は、本人達の意志と勇気をほめ  てあげましょう!」(*^□^*)

私は、これを読んでとてもうれしくなりました。  学校の前のローソンでの出来事だそうで、これをみていた道林さんという日星となんの関係もない人だったようですが、自分のFBに書き込みをして、それをみつけた私の友人が教えてくれたということなんです。  ごみをひらってくれたのは、1年生の女子生徒でした。  彼女にとってはあたりまえのことをしただけでしょう。けれど、平気でごみを散らかす人が多い中で、この行為はとっても素敵なことと写ったんです。  学習やクラブ、生徒会の活動などいろんな場面でのみなさんの頑張りを、出会う人出会う人から聞きます。校門の所の守衛さんも、「先生、日星の頑張っていますね。町で日星の話は有名ですよ」っていってくださいました。  周りの人は、みなさんのことをちゃんとみているのですね。たった一人の日星の生徒の行いであっても「日星の生徒は」という全体のいい評判になります。反対にたった一人のよくない行いであっても、それは、「日星の生徒は」って、悪いうわさとして広がってしまいます。    日星高校は、1929年に創立され、来年85周年を迎えます。これまで約1万名の卒業生がいろんな場所で活躍しています。 就職先から、「日星高校出身の人は、がんばりやさん」。看護師さんも、「日星出身の人は、患者さんにとても温かい。」などいろんなところでの評判が財産です。そうした先輩の姿が、先輩たちの営みが日星高校の今を形作ってきました。    また、「小さきものとあれ」との建学の精神が、「人と共に、人のために、より豊かに」という日星教育の目標が、さきほどお話しした当たり前のようにごみをひらってくれた生徒の中にも受け継がれているのだと思います。  昨日も、体育祭の団長の一人が校長室にきてくれました。そして、 「体育祭に向けての私たちの取組や頑張りを、被災地に届けたいです」と話してくれました。「それはいいですね。是非そういう思いで体育祭に取り組んでください。」と答えましたが、  さすが日星の体育祭だと思います。  そんな生徒のいる日星の先生としてとても誇らしく思いましたし、皆さんもそうした仲間がいることを誇りと自信にして、学校生活を送り堂々と街を歩いてほしい。 そうした皆さんの毎日が、新しい伝統をつくっていきます。新しい日星高校の歴史をみんなの手で積み上げていきましょう。

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次に復活のお話にうつります。  皆さんの学校生活いかがですか?「微妙」って答えてくれた2年生がいます。  1年生もようやく学校になれたところで、こんなはずじゃなかったって壁にぶつかっている人もいますね。私たちの生活や目標実現のプロセスではうまくいかないことや失敗もあります。時には、道を見失いそうな事もあるでしょう。  現実の厳しさの前でひるんでしまいます。  けれど、私たちにはモデルがあります。  被災地の多くの人たち。東北の同じ高校生が、全てを失ったその場所で立ち上がろうとしています。そこでの困難を考えたならば、私たちは弱音をはいてはいてはいられません。  キリスト教では、イエスが私たちのすべての罪を背負って、死んでくださった。そして、悲しみにうちひしがれているときに、復活したイエスが希望をもたらした。絶望から希望を生み出したと聖書にはかかれています。  そんなの信じないって言う人もふくめて、イエスは勇気と希望を与えてくださいました。  勇気も希望も目には見えません。けれど、希望は苦しみから私たちを救ってくれます。    私も皆さんと同じ高校生の時に、人間不信に陥ったことがあります。けれどそのとき、滝沢克己という方「イエスの死と再生」という本と出会いました。  そこには、イエスが、そうした私たちの不信や恐れ、うらぎりや憎しみといった罪を背負って、十字架上で亡くなってくださったという事実。  私たちが、底なし沼のようにどんなに沈もうと、その一番の底でしっかりと受け止めてくださるイエスの手がある。決して絶望することはないんだ。  自分だけが苦しいのではない。自分だけが情けないのではない。裏切りも何もかにもみんな承知で、イエスは「いいんだ、それで」と受け止めてくださった。  それほどまでの愛の中に生かされているのだと気がつかされたのです。  涙の中で、前に進もうって決意をしたことを覚えています。    私たちは、復活したイエスによって命の息を吹き入れられ、新しい命に生かされる存在です。困難に出会ってもう終わりだと絶望したとしても、 「終わったと思うところがいつも始まりだ」と聖書は述べています。    神様は、私たち一人一人に命を与えてくださった。その命をしっかりと生きていくこと。また、互いに生かし生かされる関係をつくっていくのです。  神はいつも私たちといてくださいます。復活のイエスが私たちとともに歩んでくださっています。支えてくださっています。  神の愛は、死をもこえるものであり、私たちはその愛に包まれているのです。   キリストの復活にあたり、そんな風に考えてみませんか。  イエスの死と復活、その精神を受け継ぐためにミサがあります。今日のミサに、感謝の心で臨んでみてはどうでしょう。きっとそこに新たな自分の生まれ変わり、私たちの復活への希望をいただくことができるのではないでしょうか。  今日が、みなさんにとっての新たな復活の日になりますように祈っています。

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「・・・目には見えませんが、愛を育ててください。キリストの愛とちからによって祈りましょう!皆さんの心に復活祭の喜びを・・・」

(カトリック西舞鶴教会フォールテン神父様)

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今回も多くの生徒たちが神父様の祝福を受けました。

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今年もよい祈りで、ご復活と本校の創立記念を祝うことができました。

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