4日目、実質的なボランティアの活動最終日の今日も朝は前二日と同じで、祈り、朝食、準備をして出発しました。

今日は、仮設や小学校で現地の子どもやお年寄りと話をしたりゲームをしたりする「お茶っこ」・南三陸サポートセンターで復興の像を作る「モアイ彫刻作業」・漁港で商品の出荷作業を手伝う「昆布作業」・別の漁港の倉庫で定置網の修繕を行う「網作業」の四ヵ所に分かれての活動でした。

網作業は南三陸町の戸倉地区の倉庫で、震災後に北海道などから送られてきた定置網を南三陸で使えるようにするため、網に組みこまれているロープをきったり、網に絡まっている大量のワカメや海の植物の繊維ゴミをとる作業を行いました。
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炎天下での作業で、網もゴミも大量にあるため汗だくになりながらの作業に休憩のときにはみんなぐったり疲れていましたが、漁師のおじさんの話をきいたり、網が置かれている高台からみえる住宅があったであろう基礎土台だけ残された住宅跡地や復興が全く進んでおらず手付かずな状態の防波堤を見ると、三年経っているけど、「まだ三年しか経ってない」というのがすごく実感できるもので、支援がまだまだ必要だし、ボランティア活動頑張ろうという気持ちになると生徒達は言っていました。
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昆布作業は、漁港にあげられた昆布を商品にするため一定のサイズに割いて、まとめての出荷の準備を手伝いました。

網作業も昆布作業も昨日の農業支援と同じで就業支援政策の一つで、震災で仕事がなくなった人に仕事を斡旋することを目的としており、それを手伝うことで、復興の仕方も次の段階へ進んでいると漁師のおじさんやボランティアスタッフの方は仰有られていました。

モアイ彫刻作業は復興の像として南三陸で浸透してきている木彫りのモアイ像に頑張ろうというメッセージを込めたデザインを彫るというものでした。

モアイ像の意味は、1960年のチリ地震津波によりチリと南三陸が被害をうけ、1990年に復興30年と友好の証としてチリから南三陸町に贈られたもので、そのときからのつながりがあり、2011年3月11日の震災で流されてしまった上記のモアイの代わりとしてイースター島から新しいモアイが震災直後に贈られた経緯があり、モアイが復興のシンボルとされていて、仮設住宅では守り神としてニーズが高いものとなっています。

お茶っこは、南三陸の志津川小学校に行き子ども達と卓球をしたりお年寄りと話をしたりしたあと、津波被害の大きかった大川小学校に行ったり南三陸の様子をみてまわりました。三年経った今でも小学校の校庭に津波被害のガラスが落ちていたりして宮城県が瓦礫撤去ボランティアを打ち切った現在でも瓦礫がまだまだ残っている状態を目の当たりにし、やはりここでも「まだ三年しか経ってない」と感じたそうでした。

米川ベースでのボランティア活動は今日で終わりのため、ベースに戻って帰り支度をし、ベースの方々へ挨拶をすませ、仙台のホテルへ戻りました。

その後にみんなで夕食をとりながら、三日間の感想をききましたが、ほとんどの生徒がスタッフの方を含め、現地の方がとても良くして頂いたし、来て良かったと言っていて、支援もまだまだ必要だかた、また来年、個人的でもいいから来たいという生徒もいました。
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