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新年あけましておめでとうございます。

「小さき者とあれ」
これは、聖ヨゼフ学園の建学の精神です。
2015年の年頭にあたり、今一度この精神を生かすことができるよう
神の援助を祈りたいと思います。

ところで
「小さき者」とはだれでしょうか?
マタイによる福音25章34-40に次のようにあります。
『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国(みくに)を受けつぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、.裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである」
(中略)
、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』

飢え・渇き・宿なし・貧困・病い・罪・・・キリストはこうした人たちと共にあると宣言されました。
現代の課題 それはマザーテレサの言葉を借りるならば
「愛の反対は憎しみではありません。無関心なのです」

世界が、様々な自然災害や飢え、拡大する感染症・戦争の中にあり
日本でも、子どもたち6人に1人が貧困にあります。
すなわち子育て世代の貧困が子どもたちにしわ寄せを与えています。
これが先進国である日本の等身大の姿なのです。

戦後の在り方として経済を豊かにすることで、貧困からの脱出の道筋は確かにありました。
けれど、どこに向かうのか 今こそ羅針盤が必要なとき
者を切り捨て、自分だけの豊かさの追究であるならば
それは神の御旨にそうことではありません。

大きな自然災害をみるならば
昨年は、東日本大震災から3年、インド洋大津波から10年
そして今年は、阪神大震災から20年
戦後70年という節目の年
今なお困難な中にいる多くの人のことをわすれてはなりません。
本当の豊かさとは何かを考える季です。

教皇フランシスコは、「私は、貧しい人々による、貧しい人々のための教会を望む」
とのメッセージを出されています。
「神の貧しさを生きる」教会であれとのメッセージはそのまま、学校にもあてはまります。
ここに、私たちの学校の姿勢、教育の在り方
カトリック学校が存続する意味をみます。

すなわち「何のために学ぶのか」「何のために進学するのか」「何のために就職するのか」
そういった問いを大切にしたいと思います。
ここで学ぶ生徒や教職員にとって
「人と共に 人のために より豊かに」
という教育目標の実現をめざす学校
外に向かって発信・実践できる学校にと願っています。

(参考)
2015年京都司教の年頭所感より

母国アルゼンチンで、貧しい人のための司牧に献身してきた教皇フランシスコは、教皇
就任以来、「貧しい人のための、貧しい教会になろう」と呼びかけておられます。宣教の基
本は、宣教者が自ら告げ知らせる福音を、自ら忠実に生きることです。教皇はこれを、ご
自身の内面からほとばしり出る輝き、福音に基づく謙遜、教皇としての簡素な生活、近づ
きやすいふる舞いでもって、無言のうちに示しておられます。

現代のキリスト教は、世界が貧困に直面しているのに、「貧しい人たちを無視して、自分
たちだけが救われるような宗教でいいのか」という深刻な問いを突き付けられています。
「フランシスコ」という名は、教皇が、貧しい人々、素朴な人々の近くにいるという一体
感と、教会刷新への使命感を感じさせます。そして、教皇は福音の喜びを全ての人々にも
たらすために、「出向いていく教会」になろうと呼びかけておられます。それは、出向いて
いく姿勢・活力をもった出動態勢にある教会です。

わたしたちキリスト者は、自分にとって快適な場所から出て行って、
福音の光を必要としている、隅に追いやられたすべての人に、
それを届ける勇気をもつよう招かれているのです(『福音の喜び』20 参照)。

京都教区のわたしたちも、この教皇フランシスコの呼びかけに応えて、もっと貧しい人
の困難な状況を自分のものとし、貧しい人の視点から教会の生きるべき霊性を見直しまし
ょう。今年は、物質的な貧しさから考察したので、来年は、精神的・霊的な貧しさから考
えます。」