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始業式に生徒諸君に話したことです。

今年は、阪神淡路大震災から20年という年です。
今日は、そのお話をします。

1995年(平成7年) 3年生の皆さんの多くは、平成10年生まれですからまだ生まれていません。今から20年前の1月17日火曜日 午前5時46分、
兵庫県南部で大地震が発生し、国内史上初のマグニチュード7.3が観測されました。
東日本大震災の震度は、マグニチュード9で、1万6000人の方がなくなられましたが、
地震そのものでの死者は1割で多くは津波の被害が大きかったのですが
阪神大震災では、なくなった方が6434人、住宅被害が約64万棟、地震の後に起こった火災に巻き込まれたくさんの逃げ遅れた方がなくなりました。

舞鶴でも、震度4の大きな揺れがありました。
5時46分 ですから私も寝ていて慌てて起きて、揺れるタンスが倒れて寝ている子どもたちに被害が及ばないように押さえていました。家の食器や棚に並べたビデオテープやカセットが落ちて散らばっていました。
けれど、神戸では、倒れてきたタンスの下敷きになったり、1階でつぶれ2階がのしかかってつぶれた家から出られなかったり、火事で逃げ遅れたりという方が多くありました。
当時私は、倉梯小学校につとめていましたが、学校に行くと壁や廊下の一部にひびが入っておりこんな地震は初めてでした。
TVでは、ヘリコプターから被災地を映していました。初めは死者8名とかでたいしたことがないなって感じでしたが、情報がなかっただけで、情報が入るにつれ被害がふくらんでいきました。火災が至るところで発生し一日中燃えていました。そうして死者が6000人を超えたのです。

神戸と大阪の間のほとんどの学校は、避難所になり炊き出しや支援物資の分配など、多くのボランティアが全国から集まりました。

1週間後に出張で大阪に行きましたが、神戸方面の高速道路も鉄道も被災して動いていません。ホームにはリュックを背負い歩いて神戸へ入る人であふれ、戦争の後のような風景でした。
倉梯小学校にも、神戸から舞鶴の親戚を頼って避難してきた子どもたちが転校してきたり、復興支援のバザーを開いたり舞鶴も被災地とつながっていました。私は学校から、現地へ支援の物資を運んで行く予定でしたが、都合で行けなくなり、また大変な時に見に行くのは、現地で苦労されている人に申し訳ないという気持ちが強く、1年くらい経ってボランティアにいって初めて現地を見ることになりました。

それが唯一の心残りでした。
やはり自分の目で見ること、においを空気を感じてくること、現地の声を聞くことの大切さを思います。それ以降は、やはり現地をこの目で見ること、できることをやろうという風に変わりました。

あれから20年が経ちます。数年前の入学者が丁度1995年生まれで、入学に当たって書いていただいた作文に、ある母さんが、「我が子は阪神淡路大震災の年に生まれました。いただいた命を大切に生きていってほしいと願っています」と書かれていました。これから新聞やTVでもいろんな特集が組まれて当時のことを知ることが出来ます。どうか関心を持ってください。

20年前の大地震の10日前の1月7日私は神戸にいました。
それは偶然で、もしかしたら地震に遭っていたかもしれないのです。
私たちは、今こうして生きていますが、それは本当に奇跡のようなものかもしれません。今、地震が来るかもしれない。隣にいる友達や朝分かれた家族ともう会えないという事態になるかもしれない。そんな頼りない今でもあるのです。
「そんなの関係ねえ」と通り過ぎることは簡単です。
だけど生かされている以上、この命をどう使うかが問われています。
命をどう使うか 「使命」と書いて、英語でミッションです。

世界中で様々な問題があります。自然災害、戦争、環境問題、貧困
そう、日本の子どもたちの6人に1人が貧困の中にある。すなわち、6人に一人の割合で生活が苦しい家庭があるということ。仕事につけなくてもつけない、勉強がしたくても学校に行けない子どもがいます。
そういった中で、私たちは今日、高校で学ぶことが出来、希望の進路を選ぶことができています。だからこそ、自分だけが好ければいいのではなく、常に世界に目を向け、様々な問題に関心を持ってほしい。
Think Global act Local 世界的な視野をもって考え、足下から行動する。
知ること、様々な問題を自分の問題としてとらえ、どうしたら解決できるのかを考えること、そういった社会に役にたつ勉強が求められています。それが私たちの使命ではないでしょうか。

(水嶋純作)