『君よ生きて』トークライブ 新聞記事

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160131-00000025-san-l26
(産経新聞ーyahooニュース)

 

12658010_846746142118048_5590311628546519088_o (読売新聞1/31)

「君よ生きて」ミニライブトークショーに参加

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7月の「君よ生きて」学校公演→1の4の感想を劇団に届ける→文化祭で「メッセージ」を歌いたい→ユウサミンさんに楽譜を依頼→10月 1の4文化祭で「メッセージ」歌う→12月 引き揚げについての講演を聞く・・・そうしたご縁がつながって
1月30日引き揚げ記念館での「トークショーでいっしょに歌いませんか」ってお誘いを山下館長さんからいただきました。→そして今日、望月さんたちが来鶴し「ミニライブ」→1の4の3名と3年生の福原さんが参加しました。

ユウサミンさんはインフルエンザで来られませんでしたが、望月龍平さんや伊藤えりさん,

平川めぐみさん、柴田桃子さんたち劇のキャストのみなさんといっしょに歌うことができました。また、今日参加できなかった生徒からの手紙も読んでみなさんに披露。感動が広がりました!
引き揚げ者の再出発の町、舞鶴 平和と希望の町舞鶴のよさを全国に広げていきましょう!

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君よ生きて トークショー新聞記事

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京都新聞掲載記事

ウズベキスタンに抑留された日本人(2)

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ナボイ劇場

ウズベキスタンからの引き揚げ者も舞鶴の港に降り立ちました。

今日から試験

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26/27日は、1・2年生は、中間試験。26~29日3年生は卒業試験に挑みます。

スルタノフ氏来鶴新聞記事(2)

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毎日新聞

スルタノフ氏来鶴新聞記事

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日星高校の生徒のことも載っています。
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ジャリル・スルタノフ氏が来鶴されました!

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ウズベキスタンにある日本人抑留者資料館の館長、ジャリル・スルタノフ氏、およびそのご家族が、外務省の招聘事業により引揚記念館を訪問されました。そこで行われたスルタノフ氏による講演会に特進コース1年生が参加してきました!

旗を持ってスルタノフ氏を迎えます。

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スルタノフ氏と、タシケント市のナヴォイ劇場建設に実際に従事された新家氏が出会われます。

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その後、スルタノフ氏と新家氏による講演があり、日星高校生も質問をしていました。

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1966年に起こったタシケント地震では、日本人抑留者が建てた建物は倒壊せず、タシケント市民の避難の場となり、命を救いました。そして、現在でも当時の建物は残っており、現役で使われています。それらの建物は現地の人たちにとって、「日本の象徴」として認識されているとのことでした。スルタノフ氏は、抑留の歴史を後世にも伝えていきたい、とおっしゃっていました。

 

その後、1年生と同い年のスルタノフ氏のご令孫が、「ウズベクダンス」を披露。1年生が日本のお菓子をプレゼントしました。

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DSC06609市長さんともいっしょに

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最後にスルタノフさんは中高生に向けて、「自分の国の文化・遺産を大切に、ふるさとに愛情を持って、自分の道を進んでいってください」とメッセージを送られました。

ウズベキスタンにおける抑留の歴史について学ぶ、良い機会となりました。

お孫さんによるダンス、いっしょに写した写真
こうした若い人同士の交流がひろがっていくことを願います。

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ウズベキスタンに抑留された日本人

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オペラ劇場、水力発電…日本人抑留者が残した遺産 語り継ぐウズベク人

 首都タシケントには、日本人抑留者が眠る墓地がある。シベリア抑留者のうち、約2万5千人がこの地に連行され建設工事などに従事した。

 ジャリル・スルタノフさん(70)は、日本人抑留者たちの歴史を伝えようと1998年、墓地近くに資料館を開き、個人で運営を続けている。「子供のころ、友人の父親から日本人抑留者のことを『遠くの国から連れて来られたにもかかわらず勤勉だった』と聞かされて日本人に興味を持った。また技師として働くようになったときに、日本人の技術の高さにも魅せられた」と話す。

 ウズベキスタンが誇る最高級のオペラ劇場「ナボイ劇場」の建設に日本人抑留者が携わったことは当地では有名な話である。しかし、水力発電所や工場、学校の建設など日本人が携わったことが忘れられてしまったものも数多くあった。

 ソ連からの独立を機にジャリルさんは日本人ゆかりの収容所や墓地などを巡り、当時を知る人から聞き取り調査を行った。明るく勤勉で、手先の器用だった日本人に懐かしい感情を持っている人は少なくなく、「ウズベキスタンのために頑丈できれいな建物を建ててくれた」と感謝の言葉を述べていたそうだ。(ネットニュースより)

そのウズベキスタン日本人抑留者資料館館長 スタルノフ氏が24日来鶴

『君よ生きて」トークライブ

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