学校長の話の中で、次の手紙が紹介されました。

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「心からの手紙コンテスト」(広島国際大学・毎日新聞社主催)
【最優秀賞】
二人のお母さんへ~「ベリギャル」からの感謝のお手紙~
広島県 盈進高等学校 二年 松田 殊里さん
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ひろこお母さんへ。不良だった私を見捨てず支えぬいてくれてありがとう。
りつこお母さんへ。不良だった私に更正するきっかけをくれてありがとう。
遅刻は当たり前。授業に出ない。暴れ回るし、ことばは汚い。極めつけは茶髪にピアス。そんな私を最後まで一番そばで支えてくれたのは、ひろこお母さんだった。

今、正直に心を開く。家庭の事情から、兵庫から広島に越してくることになって、私は、ただ寂しかった。私の故郷、「兵庫」がなくなってしまう感じがしていた。仲良しの友だちもいなくなり、さびしかった。兵庫で立てた目標も消えた。広島には広島のいいところがあるけれど、私らしさがどんどん消えていってしまいそうな焦りや不安があった。「郷に入れば郷に従え」なのだろうけど、その頃はまだ、未熟な私。そんな私にはどうにもできなくて、さびしさが恐くて、荒れていた。

ひろこお母さん。振り返れば、広島に越してきて、備後弁と播州弁で毎日、大喧嘩ばかりでしたね。毎日、本当に激しい近所迷惑だったと思う。私は、ひろこお母さんに暴言を吐きまくっていましたね。家の中は散らかり、壊れ、まさに私は、「不良」でした。その私が、「ビリギャル」よろしく、高校すら危ういのに、「絶対、大学行く。慶応に行くんよ」と突飛なことを言い出しました。受験3ヶ月前だったね。そして、やっと本気で勉強を始めてめざした高校に合格。
高校に入学しても、いっぱい勉強しました。3年前の我が家。今の私を誰が想像したでしょうか。高校1年生1学期中間テストでは、クラス順位一桁をとりました。ひろこお母さんと飛び上がって喜んだことは今でも鮮やかに覚えています。その日の晩ご飯は、ひろこお母さんのはからいで、美味しい焼き肉だったことをしっかり覚えています。

りつこお母さん。お母さんは阪神淡路大震災で神戸大学の学生だった愛息子を亡くしました。りつこお母さんは、私が更正するきっかけをくれた大切な人なのです。

最初の出会いは中学3年生の時にあった学校の講演会。不良だった私は、いつもならば間違いなく、「めんどくさ!」と言って保健室でサボッていたと思う。でも、兵庫県生まれで、小学校まで兵庫県で生活していた私は講演タイトルの「阪神淡路大震災」という文字に導かれて、なぜか「今日は話を聞いてみようかな」と思ったのだろう、気がついたら体育館で話を聞いていた。不良娘の私は、「見当違いだったら寝てしまえ!」と思っていた。友達や先生は、私が体育館に座っていることに驚いていました。

講演中、寝るなんて……終始聞き入って、涙ぼろぼろ泣いてた。感動して、人生観がひっくり返った。
りつこお母さんは教えてくれましたね。目標を持つ大切さを。人との出合いの大事さを。命の重さを。生きることの意味を。「亡くなった貴光は、湾岸戦争に疑問を持ち、世界平和のために国連職員になるという目標に向かった。そのために猛勉強して神戸大学に合格した。でも、それからしばらくして亡くなった。」

もがき苦しんだりつこお母さんを救ったのは、貴光さんが遺した生涯でたった一通の手紙でしたね。「私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……力の続く限り翔び続けます。あなたを母にしてくださった神様に感謝の意を込めて」。

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りつこお母さんは、この手紙に共感した方々とたくさんの出会いをもらったとおっしゃっていました。りつこお母さんは、同じように、東日本大震災被災者支援活動をやっていた「ある高校のクラブ」と出合い、つながったのでした。その「クラブ」では、りつこさんを「お母さん」とお呼びしているとのことでした。りつこお母さんは、出合った時、そのクラブの高校2年生が、貴光さんの亡くなった1995年生まれだと知り、衝撃を受けたのでした。もし、貴光さんが生きていたら、その年齢分、その高校生たちが生きていることになるからです。りつこお母さんは、その不思議なご縁を大切にしたい、その高校生たちに「どん底を経験したからこそ凜として生きている姿を見せるんだ」とおっしゃっていました。りつこお母さんは泣きながら、体育館の私たちにおっしゃったんです。聞き入る私には、りつこお母さんが直接、私に語りかけてくれているようでした。

講演会の後に書いた感想文は、用紙が真っ黒になるほどギッシリ書きました。担任の先生からはじめて、大きな大きな花丸をもらいました。そして、その日……
家にかえってすぐに美容院に急ぎ、髪の毛を真っ黒にして、ばっさり切って、更正のスタートを切りました。目標は、「ある高校のクラブ」に入って活動することでした。そして念願叶い、今、私は、貴光さんの遺影のある「ある高校のクラブ」の副部長として、貴光さんの笑顔に毎日見守られ、りつこお母さんのたっぷりの愛に包まれて、大好きな仲間たちと心を一つにして、人権と平和をしっかり学んで、反戦・平和・反差別の視点でしっかり活動しています。しかも時々は、りつこお母さんと一緒に! 今とっても生活が充実し、こんな幸せでいいのかなって思うほど楽しい毎日です。

先日、クラブの顧問の先生が私にこんなことを言ってくださった。「マイクを持った声がとても良い。声が通るし、聞いていてとても落ち着く」。そして「アナウンサーが似合うと思うぞ」って。うれしかった。だから、きっと、そうなれるように、努力を積み重ねます。

わたしの2人のお母さん。今の私は2人のお母さんがいるからこそあるんです。私はほんとに贅沢ですね。こんな素敵なお母さんが、しかも2人いる。私は日本一の「ベリーラッキーギャル」(略して「ベリギャル」)です。「ビリギャル」のように慶應義塾大学は厳しいかもしれませんが、大学受験は本気で戦います。ですからこれからも支えてくださいね。2人のお母さんがいれば、私は何も怖くありません。これまで、本当にありがとう! これからもどうぞよろしくお願いします。

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