「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」

マタイの福音書7章12節

おはようございます。宗教講話、今日は、神様の言葉についてお話ししましょう。

土曜日には、看護科2年生の実習へ行く資格を認める「実習認定式」があり、2年5組の皆さんが、
厳粛にそしてとても立派にやり遂げました。みなさんにはそうしたやればできる力が備わっています。

先週木曜日には、松本君が報告してくれたように3年生全員が学校の近くの魚屋地区へ復旧のボランティアに出かけました。
外から見ていると見えないし、車で通ると土嚢だけが並んでいる風景しかありませんが、一歩路地を入ると、片付けられた表通りとは、全く違った光景が広がっていましたね。私もびっくりしました。

ですから、この週末にも台風接近のニュースを聞くと、これまでは、自分の所に影響がなければいいやとおもっていましたが、今日は、「あの家は大丈夫かな?」「家の中でもう寝られるようになっただろうか」 また、募金をしただけの熊本や福岡県の東峰村でも、復旧したのだろうかと気にになりますね。それが、関わるということなんだろうと想います。

自分の時間を使うというのは、自分のいのちを削るということです。勉強している自分、部活をしている自分、ただ、なんとなく生きていても、限りあるいのち。そのいのちを削って私たちは、生きています。

今も、みなさんのいのちの時間を私がいただいている。
いのちを削って、あなた方に語っている私がいます。
そう考えると、自分のいのちを自分のために使うのは当たり前ですが、他者のために使うことで、いのちは互いにつながっていくのです。

私たちの身体の中には、そんな風に、他者を想う気持ちが備わっています。「共感」する気持ち、共感性といいます。これは、人が人である。愛とも言い換えられる人類としての共通の心ではないでしょうか。

ボランティアに行った3年生は、水に浸かった重いたたみを運び、川から流れこんだ土砂を袋に入れ、重い土嚢を運んでいました。いつも化粧で注意されている女子生徒も、見違えるほどでした。
泥でよごれた服を気にすることもなく、一生懸命に作業をしているその顔はとても素敵でした。
ある生徒にインタビューすると「最近、運動不足だったから身体を動かせたし、ありがとうと言ってもらって、心も体も満足です」

「別に、感謝されるためにやったんじゃないけれど、「助かったよって」喜んでもらえると、なんかいいことした気持ちになった」

「土嚢をもつと結構重くて、人助けをするには体を鍛えておかないといけないと思った」

「はじめは、なんでこんなことせんなんのって想っていたけれど、あの泥だらけになった家を見たり、

そこに住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんの顔を見たときにはそんな気持ちはふき飛んで、真剣になっている自分がいました」

「TVなどでみていてもやっぱり他人ごとだったけれど足を運ぶと、大変さが分かった。」

こんな風に言えるみなさんは素敵ですね。

ボランティアをすると言う事は、もちろん人助けであり、人のために役立とうとする尊い気持ちです。
けれども、反対に、私たちが、いただいたものがずっと大きいのではないでしょうか

「預言者」と言う言葉が聖書に出てきます。漢字で書くと予定の予、将来のことを予想する「予言」ではなく、「預金の預」、言葉を預かると書きます。

神様は見えないし、神様の言葉も直接は聞くことが出来ません。
けれど、神様は、ご自分の思いを、ご自分の言葉を、人の口を通して、私たちに伝えてくださるのです。

それは、いつでも聞こえるのではなく、一人自分に向かうとき、また、他者のことを思うときにに聞こえるのではないでしょうか。愛は「ご大切」です。
その声がきこえるためには、内面を磨かないといけません。し、愛を行動に移すことが必要です。

「ありがとう。助かったわ。」そういったおじいちゃんおばあちゃんの声。それはおじいちゃんやおばあちゃんを通して、神様が話された言葉だったのではないでしょうか

「預言」 神の声は、直接聞こえないから、神は、人に言葉を預けて、語っておられる
ボランティアを一心にしているときに心に聞こえた言葉があるのではないかとある先生に気づかされました。
聖書の言葉に
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」

(マタイの福音書7章12節)とあります。

わたしたちは小さいころから、人に迷惑をかけてはいけないといわれてきました。
また、人の嫌がること悲しむことをしないようにともいわれてきましたね。
それをもう一歩踏みこんで
自分がしてもらってうれしいことを、他の人にしてあげましょう
っていう神様のことば、メッセージなんです。

自分が困っているときに、してほしいと思う事ってありますね。
自分からかかわらないと、そうしたことはできません。愛は行動です。

「小さき者とあれ」「小さい人、困っている人にしたことは、私にしたことだ」とイエスはいいます。

何か人が困っているときに、大変だろうなって共感し、何か自分で出来ること、役立てることはないだろうかって思うこと、その行動は、神である私にしてくれたことになるんだよって。

実習認定式で歌った歌に「小さなひとびとの」があります。
「ちいさな人々の 一人一人を見守ろう 一人一人の中にキリストはいる」のですね。

そんな神様の言葉を、聞くことが出来、神の御心にそうことができた3年生は、ラッキーでしたね。私も、3年生の人にたくさんのことを教えられました。皆さんにありがとうの感謝をのべたいと思います。

実習認定式で歌った「平和の祈り」の一節を読んで終わりにしましょう。
「主よ、私を平和の道具にしてください」