宗教講話 「勉強することの意味」

みなさんおはようございます。休み明け、気持ちを入れ替えて頑張っていますか?今日は、「勉強する意味」について考えてほしいとここに上がってきました。

先日、看護科3年生の授業を見に行ってきました。患者さんがかかえるストレスがどのようなものがあるのか。それを緩和するためにどのような援助をするかと言うことを学習していました。
まだ高校生で病気の経験のない3年生にとっては、なかなかイメージしにくい学習でした。それでもグループになって「こうじゃない」「それもあるね」と自分たちのわずかな経験を頼りに話し合っていました。患者さんの気持ちを想像し、どんなケアができるのかを考えあっている姿はとても美しく
「あーこんな風に、課題に向き合い、患者さんに向かおうとしている看護学生がいるんだ」とすごくう
れしくなり、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

私もちょうど病院で検査を受けると言う体験をした後だったので、患者としての体験もお話しするチャンスもいただきました。
皆さんがもし病院で検査を受けるとしたらにどのように感じますか?
もし病気が見つかったらどうしよう。あの時にすぐに病院行っていればよかった。入院ってことになったらどうしよう。いや、この前の検査でも大丈夫だったから今回も大丈夫だろう。など不安や心配でいっぱいになりませんか。
患者さんの病気も熱が出たり、倒れたりすることでわかりますが、外からは見えません。また、心の中の心理状態は見えません。
そんな見えないものをどうやってみるのでしょうか。

保健室や病院では体温や血圧を図ります。血液をとったり、便をとったりの検査や聞き取りで患者さんの体の中で起こっていることを探っていくわけですね。
そうしたことができるようになるためには、しっかりとした知識と技術を自分のものとしなければなりません。学校でそれを学ぶのです。実習で確かなものにしていくのです。
不安や心配といったものは目には見えません。患者さんの状態や家庭のようすなど背景をさぐりながら必要な声かけをしていきます。
ただ、患者さんがどんなサインを出していようと、見ようとしないと見えないし、感じる心がなければ感じることはできません。
これは、看護師だけでなく、教師という仕事も同じです。どんな仕事であっても相手の気持ち、お客様の気持ちをを感じることのできることが必要です。そうした心をつくっていくこともまた私たちの勉強なんだと思います。
そうためには、心が磨かれていかねばなければなりません。

日星高校は、キリスト教の精神を大切にしています。
矢野神父さんが講話の中でお話しされましたね。聖書という目に見えるものから、イエスキリストのメッセージを聞くのだと。仏教でもお経の中から仏陀の教えを知っていくのです。
私は、大学で宗教を教わったのですが、「宗教を学ぶとは見えないものが見えるようになること。背景を知ること」って教えてもらったことを覚えています。

皆さんの勉強もまた、みなさんに「見えないものをみる力」や「背景を読み解く力」をつけることなのです。看護師の国家試験でも状況設定問題というのがあります。患者さんのデータと状況が文章や画像で示されていて、そこから病気を見つけ、手だてを考えていくことが求められます。

私たちの勉強も同じです。例えば、「引力」。私たちがここに立っていられるのも「引力」のおかげですが、引力は、目には見えません。
ニュートンは、木から落ちるリンゴを見て、「万有引力の法則」を見つけました。
私たちも、夜空を眺めて、星座が動いていく姿から、地球が自転していることを考えることができますね。自然を超えた大きな力を感じることもあります。
このように法則や例題を手がかりにしながら、問題を解く。歴史を学んで新しい時代を考える。教科書や情報をもとに世界や社会を見つけていく。書かれた文章をもとに、何を言っているのか、何を伝えたいのかを読み取ること。見える現象をもとにその背景を考えていくこと。それが勉強ですね。
自分の考えたこととお隣さんが考えたことは、違っています。そこに討論が生まれます。「ああでもない、こうでもない」と頭を突き合わせることで、背景や問題が見えてくるのです。

世界や社会を知ると同時に、自分は何者なのかを知ることも勉強することの大きな意味です。
自分に何が必要で、何が足りないのかを知ることから勉強が始まります。
自分が周りの人からどのように見えているのか、自分の行動がどのように相手にどのような影響を与えているのか、それをメタ認知といいますが、自分を客観的に見ることができるようになる力も高校ではしっかり身につけていきます。

聖書にあるタラントのお話。知っていますね。まだの人は宗教の時間に習います。
一人ひとりの持っている才能・力、それは神様からいただいた賜物です。与えられた自分の可能性を磨いていくことが神様の望んでおられることなのではないでしょうか。
あなたの中にあるものに気づき発見していく、そのプロセスが「知る」と言うこと。「学ぶ」と言うことなのです。

そんな勉強いつやるのですか、林修先生じゃないけど「今でしょう!」
どうか見えるものだけにとらわれず、今しかできないこと、しっかり勉強し、たくさんの経験をしましょう。たくさんの人と出会い、振り返ることで、学びが深まり、内面が磨かれていきます。
そうすることで見えなかったものが見えてくるのです。
「求めよさらば与えられん。」なのです。
真剣に求めていくならば神様はきっと応えてくださるでしょう。