抑留者が、建設に携わったナボイ劇場。タシケントの中央の公園や博物館のある一角に堂々とたっておりました。

「捕虜であるにもかかわらず勤勉に働くそんな日本人をいつしか尊敬の念をもってみるようになった」

しかも1966年に起きたタシケント大地震にも壊れることなく立ち続ける姿をみて、一層、尊敬の念が深まったという。
「大きくなったら日本人のような人間になれと」伝えられていると。

永田少尉が「俺たちの目標は生きて全員が日本へ帰ること」と言ったその言葉が捕虜となった日本兵に希望を持たせ、かつ、懸命に働く意欲とつながったのだ。

外の壁に3カ国語で書かれた銘板がある。

「1945年から1946年にかけて極東から強制移住させられた数百名の日本国民がこのアリシェル・ナヴォイ劇場建設に参加し、その完成に貢献した」という日本語を読む。
私も、2016年の1月にスルタノフさんが舞鶴にこられるのを契機に勉強して初めて知ったこと。
『アンビリーバボー』でもみて改めてそうした日本人がいたことを知る。
引き揚げ記念公園にある「タシケント第4ラーゲリの桜」が現実味をおびてくる。

カリモフ 大統領によってこうした碑文が書かれたことに、ソ連とウズベキスタンの歴史を感じる。
ウズベキスタンもまたソ連の内植民地であり、戦争は自分たちがしたのではないという意識もあろう。1991年の独立は、ソ連とは違うウクライナという生き方。欧米化でもない新興国日本を見習おうという方向性の中で日本への敬意を表し、捕虜や抑留者でもなく日本国民として見るというスタンスを表しているのだと思う。