秋の大会 西舞鶴高戦 初戦を勝利

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抑留者資料館訪問

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日本人墓地のあるモスクから道を隔てたところにその建物がありました。建物は、元スロバキア大使館だったものを改装して使っているとスルタノフさん。
玄関の右の柱には「1940年代にウズベキスタンで生活していた日本人の記録」資料館と日本語で書いてありました。左の柱にはロシア語で。

あらかじめ約束してもらっていたので、中へ入るとジャリル・スルタノフ氏が孫娘のリスラットさんと出迎えてくださった。

2年前に安倍首相に招待されて来日されたその足で引き揚げ記念館を訪問され、日星の特進コース1年生がお迎えしたのが出会いのきっかけ、スルタノフ氏もリスラットさんも、舞鶴で会ったことを覚えていただいていました。

スルタノフ氏が、映画「ヒイラギ」(2003年に氏が制作ー日本人の残した建物などのエピソード)を見たかと聞かれ、「事前に見てきました」と答えると、展示してある資料を一つ一つ丁寧に説明をしていただいた。

この資料館にある、全ての資料はスタルノフ氏がコツコツと集められたもの。

日本人抑留者の住んでいた場所と人数が地図に落とされ、さらに当時の強制労働の写真、日本人墓地の変遷の写真、ここを訪問された方からの手紙などが小さな資料室の壁一面に展示されている。

「ナボイ劇場」の建築工事中の写真もある。
当時の抑留者が作ったという机や乳母車、釘を使わない日本の建具の方法で作られ、今も、揺れ続けています。勤勉な日本人とウズベキスタンの普通の人との交流のようすが伺えます。

まったく、民間のスルタノフ氏が、時空を超えてこうして日本とウズベキスタンとのつながりの基礎をつくってくださったことに感動です。

スルタノフさんは、今、ひいらぎの2作目を編集中で、2万人の抑留者の生活を描いているそうだ。

当時の加藤ウズベキスタン大使からの表彰状、安倍首相からの叙勲、あの昭恵夫人のメッセージ、それらの写真にに混じって我が舞鶴に来られた時の写真も掲示されていた。
入口近くに多々見舞鶴市長からのメッセージと感謝状も展示されている。
こうして一市民が、日本人の抑留者の歴史を掘り起こし記録し、私設の資料館を作り、維持してこられたことにやはり一市民として尊敬する

当時の加藤ウズベキスタン大使からの表彰状、安倍首相からの叙勲、あの昭恵夫人のメッセージ、それらの写真にに混じって我が舞鶴に来られた時の写真も掲示されていた。
入口近くに多々見舞鶴市長からのメッセージと感謝状も展示されている。
こうして一市民が、日本人の抑留者の歴史を掘り起こし記録し、私設の資料館を作り、維持してこられたことにやはり一市民として尊敬する。

館長のスルタノフ氏とリスラットさんに日星高校とウズベキスタンの交流の歴史をお話しする。

2年前の来鶴時に言われたこと
「ウズベキスタンを知らない日本人は多いと思うが、我々は日本にたいへん親しみを感じている。両国の特に若い人たちの交流が盛んになることを期待している。
若者は自国の歴史にあまり興味をもたないが、戦争のつらい時代にも是非関心をもってほしい。
日本人がウズベキスタンに抑留され、地元の人たちとも交流をもっていたことを知ってほしい」
とても印象に残っている。

書道部からの色紙などのおみやげをお渡しし「10月に来られる時に、日星高校にもぜひ来てほしい。メッセージと踊りを踊ってほしい」とお願いした。