校長宗教講話 2019年11月12日
【祈り】
只今、田中愛美さんの1年目の命日に対する祈りをいたしました。
3年2組では、愛美さんの月命日12日に毎月祈りをおこなっていると聞きました。
それは、「私たちは、あなたのことは忘れないよ。私たちは、あなたといっしょにいるよ。だから安心して天国で休んでいてくださいね。私たちを見守っていてくださいね。」という祈りです。
カトリック教会では、11月を死者の月と定めています。
教会では死について次のように述べています。
「親しい人との別れは、だれにとっても悲しいことです。しかしキリストを信じる者にとって死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。」
「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします」
【受苦ということ】
今日は、「受苦」というお話をします。「受苦」とは苦しみを受けること。
昨日、何気なく新聞を見ていると、京都新聞の「天眼」(天の目)に鷲田清一さんのエッセイが載っていました。鷲田さんは、大阪大学や京都市立芸術大学の学長をされていたこともある哲学者です。
見出しは「私の宗教はコンパッションです」 「コンパッション」って何でしょうか。
鷲田さんが、お寺で親戚の法要をされたときに出会ったイラン人の留学生に「あなたの宗教は何ですか」と聞かれました。イラン人ならイスラム教と答えそうですが、そのときのイラン人留学生の答えが「私の宗教はコンパッションです」だったのです。
イランの貧しい農家が、家族総出で高価なサフランを栽培している。人はこの世に生まれ来て、やがて去りゆく。そのしばしの時間を人とサフランが大地にへばりつき、支え合って生きる。
そうしたところからこの「コンパッション」が生まれたのでしょう。
キリスト教が源のヒューマニズムの語源は「フスム」―これも土のことで、土から生まれ、土にへばりつき、土に返っていく。それが人間の運命だからこそ、そこでの苦労を分かち合う人間観が生まれました。
コンパッションとは「受苦を共にすること」を意味するラテン語です。「他者の苦しみに苦しむ」ということをコンパッションという言葉で表現したのです。
他者の苦しみを感じ、共に苦しむことーどの宗教にも通じる根っこの気持ちが、この「受苦」だと鷲田さんは、語っていました。
コンパッションは、パッションにコミュニケーションのcomがついているように相手の悲しみや苦しみの状況に同情し、共感するとともに「なんとかしたい」という気持ちが込められています。
パッションはキリストの「受難」を表します。「情熱」という意味もあり行動につながります。
キリスト教は、十字架上のはりつけ像を象徴としています。それは「他者(私たち人類)を救済するために自らを犠牲として差し出されたキリストの愛」の象徴です。私たちのためにキリストは死んでくださった。だから、私たちは、くよくよ悩むことはないんだとのメッセージも込められています。
佛教でも「受苦」とは
「すべての人びとの苦しみを自分の苦しみであるとして受けとめ、またその苦しみからの救済を志す 慈悲の心にもとづく行為のこと。」苦しみから救ってくださる仏様。
私たちもその心で人の助けになろうということですね。
【いじめによる死は防げる】
みなさんの身近な例で考えてみましょう。
昨日、2年生が成長教育で聞かせてもらった岐阜大学の近藤真庸先生とお話をしていました。
近藤先生は、「いじめを無くすことは出来ないが、いじめによる死を防げる可能性がある。特別なことは必要でない。言葉でもしぐさでもいいので、「君は一人ではない」というメッセージが伝わればきっと支えになる。と
周りの人は、助けたらいじめが自分に向かう、はぶられるといったことを心配して、黙ってしまいがちです。
「いじめによる死」は、だれも分かってくれないという絶望から来ます。
そうではなくて
「あなたは一人じゃないよ」ということが伝えられたら、人は、死ななくて生きていけるんだ」と近藤先生が仰っていました。
私たちは、他者の 「弱さ」や 「苦しみ」「悲しみ」―受苦に関心を寄せ、それに心を寄せ「同情」したり、苦しみをわかろうとする「共苦」の気持ちをもっています。
私たちは、人がいやがったり、苦しんだりすることを喜ぶ人間ではなく、人の悲しみや苦しみを感じ、いっしょに苦しむことができる人間でありたいですね。
【台風19号被害から1ヶ月】
次ぎに、台風19号被害に対する募金をしました。今日は、台風19号の被害から丁度1ヶ月がたちます。
関東の大きな河川が軒並み決壊をし、大きな被害が出ました。死者が91名、現在も行方不明になっている人が4名、今も3000人の人が、避難所や壊れた家で過ごされています。
また、毎年2年生が学習旅行で行く沖縄の首里城が火災で焼失という事件もありました。私も、TVで焼け落ちる姿を見ているしかありませんでしたが、沖縄の象徴である首里城を失った沖縄の人たちの悲しみは、どんなものでしょうか。
現代は「受苦」の時代です。自然災害や原発事故、交通事故やいじめによる苦しみ・・・
「受苦」の時代だからこそ、互いに助け合うことが求められます。
台風19号の被害に対して、生徒会では何かできることはないかと募金を提案してくれました。
募金をした人はどんな気持ちで募金をしましたか?
「ぼーっと生きてるんじゃないよ」とチコちゃんに怒られないようにでしょうか。
被害の状況や困っている状況を知った以上、だまっているわけにはいきません。
「私は何もできないけれど、あなたたちと共にいますよ。あなたたちの苦しみをいっしょに感じていますよ」「なにかに役立ててください」という気持ちは人としての自然な気持ちですね。
金額は、わずかであっても、募金をするという行為を通じて、被災地とつながるのです。

世界中で悲鳴をあげている人がいます。
わたしたちの学園のモットーもまた「小さきものとあれ」―愛は行動です。
それが私たちの「コンパッション」「受苦を共に苦しむ生き方」なのだと思います。
そして支えることが支えられる事になり、苦しみを喜びに変えることも出来るのではないでしょうか。皆さん一人ひとりにとって、他者とは何かを考えてくれるきっかけになることを願っています。