朝から暴風雪警報が出され、学校は臨時休校となりました。幸い雪はたいしたことはありませんでした。一足先に始業式校長講話を掲載します。

(校長講話)

皆さんおはようございます。新しい年の始まりですから、新年の挨拶もしますね。明けましておめとうございます。ところで「何がめでたい」のでしょうか。クリスマスはイエスの誕生をお祝いしておめでとうと挨拶します。

お正月もまた、新しい年になったことを祝います。そして、今日は、始業式。こうした節目の儀式は人間が作ったものでコロナに冬休みはありません。

今年は、コロナの感染拡大が続く中で各教室での始業式ですがそれでも、こうして皆さんが、登校できたことにまず感謝したいと思います。学校が無事に始められたこともまためでたい事ではありませんか。

私たちの生活にこうした節目をつくることで、普段気づけなく通り過ごしている生活を立ち止まってみることで、見えないものが見えてきます。気持ちを切り替えていきます。

コロナもまた目には見えませんが、世界中の都市では、ロックダウンが続き、ワクチン接種が始まった途端に、ウイルスの変異が見つかるなどまだまだ厳しい状況が続きます。日本でも、年末に東京の感染者が1000名を超え、今週末には、首都圏で二度目の非常事態宣言が出ると言うニュースは人ごとではありません。グラフを見ることでリアリティを感じることができますね。

すぐに減少して普段通りに戻ることが難しいならば、あえてその中でどう生きていくのかが誰にも問われています。

クリスマスから新年にかけて、いつもならどこかへ出かけたり人と会ったりして忙しく過ごしていますが、今年は、どこも静かなお正月。家にいて家族と過ごしたり、一人でこもったりだったのではないでしょうか。

そこで、普段感じられないものを感じたことはありませんか。私が感じたものは、「一人で生きているのではない」ということです。私たちは、誰かに助けてもらわないと生きていられません。

家族はもちろん、先生や友達、そして多くの人や社会の助けがあって今日の日があります。だからこそ、いただいたものを返していく。今度は、誰かを助ける人に、誰かを支える人、社会を支える人になっていくのです。それが大人になるということであり人生の意味を見つけるということではないでしょうか。

私は、高校時代、壁にぶつかるたびに「人はなんのために生きているのか」とよく考えていたことを思い出します。その答えは出ていませんが、ビクトール・フランクル(アウシュビッツから生還した心理学者ですが)の次の言葉で納得したように思います。                                       「人が人生の意味を問う前に、あなたは人生から問われている存在です。」人生とは、自分を超えた何かからの問いに答え続けていくプロセスだと理解することができます。ですから、人生がうまくいかないときでも、どんなに絶望に陥ろうとも、「人生は、どんな時にも意味がある」とフランクルは教えてくれます。

人生は決して人間に絶望しません。諦めません。「人生は我々に毎日毎時間、問いを出し、我々は、その問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答していかなければならないのである」

私たちのこの新しい日常の中で、皆さん一人ひとりの自分の人生からの問いかけに気づき、それに行動で答えていける新しい年にして欲しいと思います。新年にあたっての決意をしたと思います。それも、自分の人生からの問いに答えていく第一歩です。新しい年が、皆さんにとっての決意を実現していく年になりますように。