皆さんの門出を祝福するかのような晴天に恵まれ、本日、ここに卒業証書・修了証書授与式を挙行できますことに感謝申し上げます。皆様方には、新型コロナ緊急事態宣言の中で、様々なご協力をいただきありがとうございます。
卒業生・修了生の皆さんは、昨年3月の休校からはじまり、学習旅行や体育祭の取りやめなど異例ずくめの一年間でした。世界中が、突然やってきたパンデミックに動揺し、当たり前が当たり前でない生活を強いられました。この科学の時代にあって、私たちのなしえたのは、「手洗い、うがい。マスク。外出を控える。」といった極めて原初的な対応でしかありませんでした。
そして、リモートであっても人はつながり、つながることが喜びであると実感しました。
けれど、一方で私たちは、見えないウイルスに疑心暗鬼となり、果ては、感染が疑われた人や看護師さんなどを外側においやり、避け、攻撃することで安心を得ようとします。そうして社会は分断されてきました。また、様々な出来事に出会って「おかしい」と感じていても、自分にふりかかってこないよう見て見ぬふりをしたことはなかったでしょうか。
困難は、いつも大切なことを教えてくれます。感染症が流行る度に、不安と恐怖の中で、誰かを生贄とし、また、魔女狩りとして罪なき人が排除されてきました。それが、人類の歴史です。今また、コロナ禍という試練が、私たちの前にあります。
昨年、流行った『鬼滅の刃』。鬼は、まさにそうした私たちの心の闇が生み出したものに違いありません。「お前も鬼になれ。絶大な力を持てる。永遠の命が手に入るぞ」と誘惑する鬼に対して煉獄さんはこう言います。
「人は命を持った弱き存在。老いて死ぬからこそ愛おしい。はかないからこそ愛おしい。俺は、鬼にはならん。」「強く生まれたものには、弱きものに寄り添う使命がある」と。
人は、完全無欠だからすごいのではない。どの命も等しくかけがえのないものであり、弱いからこそ、つながり支えあうのです。
そして、最初の聖書朗読にあったように、心にはびこるおぞましいものを清め腐敗を防ぐ「塩」の存在、闇を照らし、困難を包み込みこむ「光」の存在に気づかせてくれました。
聖ヨゼフ学園の建学の精神は、「小さき者とあれ」という聖書の言葉にあります。
2000年前、イエスもまた世間から追いやられ、僻辺の馬小屋で生まれました。
暴君ヘロデ王は、自分の存在をおびやかすイエスの誕生を聞いた時、2歳以下の赤ん坊をすべて殺してしまいます。だからこそ、イエスは、幼き生命に代わり「小さき者とあれ」と語ります。
当時、幼きイエスとマリアを護り、導いた人がヨゼフでした。
私たちもまた、どこかで傷つき、周辺へ追いやられた「小さき者」かもしれません。
そんな私たちを、幼きイエスと同じように、未熟な、それでいて聖なる命をもった存在として、ヨゼフは、護り、導き、生かしてくださってきたのです。
昨年、来日された教皇フランシスコは、次のように述べています。
「一人一人が弱さを分かち合い、認め合い、他者を支える場がとても大切です。」と
ここに、私たち聖ヨゼフ学園の存在価値があり、私たちの使命があるのではないでしょうか。
「中学校の時不登校だったけれど、仲間や先生のおかげで希望の進路をかなえることができた。」「自分を成長させてくれた日星。ここで生活できたことは誇りです。」と言ってくれる生徒がいます。
また、コロナ禍の中で、今まさに看護師になろうとしている5年生、3年間を修了する看護科生がいます。「自分が感染するリスクもある。正直言って不安です。けれど、みんなが逃げていては、人は助けられない。私は逃げずにがんばりたい」「同じ目標をもって、励まし助け合ってきた仲間や先生がいる。だからここまでこられた。あと2年間がんばる」と語る皆さんは私たちの宝物です。いやヨゼフさんそのものではないでしょうか。
後になりましたが、保護者の皆様に今日の日が迎えられましたことに感謝を申し上げます。
私たち教職員も一人ひとりの生徒に寄り添おうとしてきました。しかし、まだまだ未熟で、「もう少ししっかりと指導をしていただきたい」とのお叱りもあります。厳しい言葉もまた糧にしながら頑張って参りたいと思います。
「ともすれば休みがちな私を根気強く励まし、後押ししてくれたのはお母さんです。お母さんもきっと辛かったでしょう。毎日の弁当や送り迎えなど本当にたくさんの心配と迷惑をかけたけれど、私は、無事にここまでやってこられました。感謝してもしきれません。」
生徒たちもこのようにそれぞれの人生を生きてきました。その証としての卒業証書です。
こうした感謝の気持ちを忘れず、自分に自信をもって明日へ一歩踏み出してください。
本当に先の見えない時代です。けれど、みんなは一人ではありません。困ったときに帰ってこられる場所が、ここ日星です。皆さん方一人ひとりが、自分に与えられた使命に気づき、自分の人生の主人公として未来を切り開き、「地の塩、世の光」となってください。
これを私のはなむけの言葉とします。
2021年2月20日
学校法人聖ヨゼフ学園日星高等学校
校長 水嶋純作
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