校長講話

終業式2020年度 3学期

 1年生・2年生の皆さん

1年間が終わります。コロナ禍でほんとうに大変な一年でしたが、みんなで乗り越えてきたなという思いがあります。クラスや部活の中でも、感染予防のため、様々な制約に協力し、不自由を辛抱してきてくれたことに私からもありがとうと言いたいと思います。

今日は、3つのお話をします。

1つ目は、コロナ禍で感じたこと。2つ目は、困難がつなぐこと 3つ目は、試練と復活について

(まず1つ目)

みなさんに「どんな気持ちでコロナ禍を過ごしてきたのか。どんな気づきがあったのか」についてアンケートに答えてもらいました。

困難は、大切なことに気づかせてくれます。

・今まで当たり前にできていたことが急にできなくなることを身をもって実感した。

・当たり前の日常が、決して当たり前でないこと。日常の大切さに気付く機会にもなりました。

・体育祭や文化祭など行事がないと全然面白くない

•楽しみがないとテストが頑張れない

・辛い思いの人も沢山いたんだなと考えさせられました。

・しんどいのは自分だけではないと思えた。

•自分と家族と向き合えた良い期間になったなと思いました。

・家族と向き合えた時間が大切だということと人と関わることが大切だと分かった。

・今まで当たり前だったけど友達と向き合って喋ったり遊んだりできる大切さを知った.

・友達と話すことができる嬉しさや、友達の存在に大切さ、先生たちのサポートがいかに素晴らしいものであったかに気づいた。

•自分を成長させるきっかけに気づけた

•普段学校に通っている時は行きたくないと感じていたけれど、行かなくなれば、自分の中で学校は結構重要だったことに気づいた。

•クラスメイトは優しい子達ばかりだなあと思いました。学校は本来、こんなに心が嬉しかったり楽しかったり、やさしい気持ちで溢れる場所なんだなと気づきました。

素敵な気づきをしたみなさんのやさしさやそれをちゃんと書いてくださったことにありがとうと言わせていただきます。皆さんの意見をまとめて、クラッシーで送ってあります。見てください

(2つ目のお話は困難がつなぐということ)

コロナによる困難さが、世界をつなぎました。

自分が苦しい時、他者の痛みにも気づき痛みは人をつなぎます。

先日来TVや新聞でも「10年目の3.11」として東北被災地の今を報道していましたね。

私たちも「3.11の集い」で雁部さんや斎藤先生からお話を聞きました。

私たちもコロナ禍と困難の中で「人のありがたみや優しさ」を感じてきました。

今だからこそ、被災地で不自由で困難な生活をしてきた仲間たちの気持ちとつながることができたのではないでしょうか。

皆さんの感想には、「本当の幸せは、 毎日の何気ない日々だと思います。それが突然ふとしたことでなくなったり変化したりするからです。私は毎日を大切にしたい」

雁部さんのメッセージの「1日ひとつ思い出を」その言葉の重みを感じた。

「人と人が関わり合えることが幸せだと思います。与えられた命を無駄にせず精一杯生きることが私たちに与えられた使命だと思います」と日常の大切さに目を向けてくれています。

10年目は節目です。けれど、被災地は、10年前も今も、困難な日常が続きます。

福島では、原発事故で16万人の人が故郷を追われ、放射能で汚染された町へは、今もなお

約3万人の人が帰れないでいます。そうした現実も知る努力をし、痛みを共有することで、痛苦によって人がつながることができるのです。

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コロナ禍が収まるよう願いながら、この困難を一緒に乗り越えていきましょう。

(3つ目のお話です)

苦難を乗り越えた上に復活の喜びがあリます。

今、キリスト教の暦では、四旬節と言って、今年は4月4日のイースター復活祭に向けた40日間を、イエスの受けた受難をたどり、信仰と希望と愛を新たにする期間としています。

この四旬節の中で断食(絶食)をする日が決まっています。断食とは、食べ物を控えることです世界中で貧しい暮らしをしている食べ物のない人々の気持ちを知ることになります。同時に自分を束縛するもの、溢れかえる情報や商品、それらへの欲望から私たちを解き放つのです。

聖書によると「聖霊は、イエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこに留まり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」

荒野というのは人が生きられない砂漠のような場所。気を許せば、野獣やサソリに命をとられてしまう。また、悪魔が、誘惑するのです。

イエスも「できるならば、この苦しみから逃れさせてください」と祈るのですが、神は、試練を与えます。

仏教を始めたゴータマ・シッダルタもまた、出家して旅に出ますが、やはり修行をします。来る日も来る日も厳しい修行を迫られます。

虎が出てきて食べられそうになるというエピソードは、有名です。そして、7年の苦行の後、ブッダは「悟り」を開くのです。

イエスもブッタも、幸せは、簡単には手に入らないことを教えてくれます。ブッダの「悟り」とは、「人間に苦(苦しみ)をもたらすのは、外にあるもの外的要因ではなく、人間自身の中にある執着という煩悩―心の汚れであり、これを無くせば苦はなくなる」という考え方です。

幸せも不幸せも自分の考え方、感じ方できまります。

誘惑といえば、『鬼滅の刃』。「お前も鬼になれ。絶大な力を持てる。永遠の命が手に入るぞ」と誘惑する鬼に対して煉獄さんはこう言います。

「人は命を持った弱き存在。老いて死ぬからこそ愛おしい。はかないからこそ愛おしい。俺は、鬼にはならん。」「強く生まれたものには、弱きものに寄り添う使命がある」と。

 人は、完全無欠だからすごいのではない。どの命も等しくかけがえのないものであり、弱いからこそ、つながります。

本当に先の見えない時代です。けれど、みんなは一人ではありません。

学校は、互いがケアしあう場所であることにも気づきます。

みなさんは、進級します。次には、どうやって人とつながりこの困難を乗り越えていくのか、自然災害への対応や原発に依存しなくてもいい世界をどうやったら作れるのか、ふるさとの町をどうやったら元気にできるのか。そうしたことを考え、そのために勉強を行動をしつづけてほしいと願います。

今日は、看護科4年生の皆さんも参加しています。

最後に、卒業していった看護科生の思いをお伝えして終わります。

「コロナ禍の中で医療現場で働くことは不安もたくさんありますが、実習を受け入れてくださった医療施設の方々に感謝し、自分たちにできることを精一杯頑張ろうと思います。」

「リスクや不安もありますが、今は楽しみの方が勝っています。なりたい自分に近づけるよう頑張りたいです」「医療従事者という自覚を忘れず、厳重に感染対策をとって患者様と向き合い、責任感を持って看護師としての役割を果たしていきたいと思っています」

「医療現場がひっ迫している中、看護師として働けることに誇りをもちたいです」

「4月からは実際に私も医療従事者の一員として、医療現場で働くこととなります。

今後ますます責任感をもった行動が必要だと思います。実際に患者様と接する中では、多くの知識と技術が必要とされると思いますが、少しでも患者さんに寄り添い、その人らしく過ごすことができるよう勉強し続け、看護していきたいです」

こうした生徒は、私たち日星高校の誇りです。みなさんも、困難を乗り越え、人と繋がり、一人一人の夢の実現に向かってがんばってください。応援しています。