はじめに言があった。始業式に

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3学期 始業式に
新年明けましておめでとうございます。
何がめでたいと私も高校時代に思っていました。
受験生にとっては、今年のセンター試験まであと10日。それが終わらないとちっとも
めでたくなんかないですね。
けれど、ここにこうして集まれたことがおめでたいことですし感謝です。
このように人間は、昔から暦を使い、事あるごとに 気持ちを切り替えてきました。

例えば失恋をします。何でふられたんだろうとふりかえり自分を高めていくきっかけにすることは大切ですが、失恋をいつまでも引きずっていても前に進めませんね。
そんな時、気持ちを切り替えてきませんでしたか。野球でも、点数を入れられたとしても、気持ちを切り替えて、向かっていくそんな生き方をしてきました。
令和という区切り、新年という区切りを3学期という区切り、新たな気持ちへの切り替えのチャンスにしましょう。

切り替えのために必要なことはなんでしょう。
みなさんも新年の抱負を言葉にしませんでしたか。
「よし今年こそ甲子園」「よし、今年こそ00大学へ、就職への進路を決めるぞ。」「成績をあげるぞ!」と言葉にして外に出すのです。
言葉には命があります。だから、言葉にしたように人は方向付けられるのです。

新約聖書(ヨハネの福音書第一章第一節)に
「初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。」
とあります。

言葉は、神であり、生命の光であり、人類の光であったのです。
私たちの心の中の願いや想いを言葉にすることで、魂が実態となっていきます。
思いが現実を作っていくのです。
グランドに「目指せ甲子園」と書いてあリます。
私の勉強机にも「夢の実現」と書いて張ってあります。
「言葉によらずなったものは何一つなかった」のです。
みなさん、思いや決意を言葉にしていくのです。
もちろん全てが叶うことはありません。けれど、目標を明確にしそこに向かう努力は、人生にとって大切なものです。道は自ずと開けていきます。

また、言葉は、その意味だけでなく、発する音そのものにも力があリます。
力があるだけに使い方を誤ると、人を悲しい思いや死へも追いやってしまう場合もあります。
最近は、ラインで簡単な言葉でやりとりしたり、言葉を省略して記号や絵文字で済ませてしまうことが多いですね。けれど、大切なことは、しっかりと伝えることが大切です。
アメリカとイランの戦争が言葉で始まり、言葉で抑制されています。
ローマ教皇フランシスコは、平和のメッセージを残しました。平和への思いはどこも共通です。
比叡山にある天台宗延暦寺からも「比叡山から発信する言葉」が発表されたと今朝の新聞に載っていました。
「一々労不借(いちいちろうふしゃく)」いちいち労をおしまず
「伝教大師最澄さまのお言葉に「己を忘れて他を利するは慈悲の極(きわみ)なり」とのみ教えがあります。
自らの労を惜しまないで人々への思いやりや労りの行いに努めることこそ、安らぎと癒し、救いへの優れた力となり尊いのです」と解説されていました。
比叡山の貫首が、ローマ教皇の平和の集いに参加され、教皇の言葉や姿勢に感銘を受け、この言葉を選んだと書かれていました。
ひとつひとつに労りの心を惜しまず、共に力を合わせていきましょう。

3学期は、次の学年の0学期と言います。ぼーっとしてたら、物事は成りません。しっかりと決意をし、言葉にし、事を成す、そんなスタートにしていきましょう

クリスマスメッセージ

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教皇フランシスコの言葉

2019クリスマス講話 教皇メッセージ

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青年の集い 教皇メッセージ 2019 11 25
Protect all life

(他の人に関心を寄せる)
私たち人類家族にとって、皆が同じようになることではなく、調和と平和のうちに共存すべきことを学ぶことがどれほど必要でしょうか。友情はぐくみ他の人が抱える不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重することがどれほど必要でしょうか。

(いじめ もうやめよう)
レオナルドさん
あなたが苦しんだいじめと差別の経験を分かち合ってくれてありがとう。
あなたたちがしてくれたように心の中のものを分かち合うのは大変勇気がいることです。
学校でのいじめが本当に残酷なのは自分自身を受け入れ人生の新しい挑戦に立ち向かうための力を1番必要とするときに、
精神と自尊心が傷つけられることです。
いじめの被害者が「たやすい」標的なのだと自分を責めることも珍しくありません。
「負け組だ、弱いのだ、価値がない」そんな気持ちになり.とてつもなく辛い思いをします。
「こんな自分じゃなかったら」と。
けれども反対なのです。
いじめる側こそ本当は弱虫です。
他者を傷つけることで、自分のアイデンティティーを肯定できると考えるからです。
自分と違うとみなすや攻撃します。
違いは脅威だと思うからです。
実はいじめる人たちこそが怯えていて、見せかけの強さで装うのです。
私たち皆で、この「いじめ」の文化に対して力合わせ、ハッキリと言う必要があります。
「もうやめよう!」
学校や大人がこの悲劇を防ぐために尽くす手立てだけでは足りません。
この疫病に対して使える最良の薬は皆さんたち自身です。
皆さんの間で、友人や仲間どうして、言わなければいけません。
「絶対ダメ」「それは間違っている」
クラスメイトや友人の間でともに「立ち上がる」こと以上にいじめに対抗する強力な武器はありません。
そしてこういうのです。「あなたが知っているのは、とてもひどいことだよ」

(もっとも隅に追いやられた人 イエス)
レオナルドさんが気づかせてくれたように、イエスの生き方を見ることで、私たちは慰めを得るはずです。
イエスご自身も、侮蔑され、拒絶され、十字架につけられる意味を知っていたからです。
ある意味、イエスこそ、最も「隅に追いやられた人」であり与えるための命に満ちていた人でした。
レオナルドさん。
持っている全てのことに目を留めることもできますが、自分が与え、差し出すことができる命を見いだすこともできます。
世界はあなたを必要としています。それを決して忘れないでください。
今日、起き上がるのに手を貸してほしいと求めている多くの人に、あなたが勇気を与えられるのです。
それには、とても大切なのにあまり評価されていない長所を育むことが求められます。
それは「他者のために時間を割き、耳を傾け、共感し、理解する」と言う手腕です。
周囲よ世界を変えることができる愛に向かって進み出せるのです。
そのために時間を割かずに「時間を浮かせ」でも多くのことに時間が奪われ、1日が終わると空虚でクラクラしてしまうのです。
ですから、家族や友人のために時間をとって下さい。でもそれだけでなく、神の為にも、祈りと黙想のためにも祈ってください。そうするのが難しい時も祈りなさい。

あきらめてはいけません。
心を落ち着け、神のための時間を作り、神に認めてもらいなさい。
神はきっと、あなたを平和で満たしてくださるでしょう。

(豊かさの中にある貧困)
世界には物質的には豊かでも、比較にならないほどの孤独の奴隷となっている人がなんと多いことでしょう!
私は、繁栄した、しかし顔のない社会の中で老いも若きも多くの人が味わっている孤独のことを思います。
貧しい人々の中でも、最も貧しい人々の中で働いていたマザーテレサは、かって預言的なことを言っています。
「孤独と、愛されていないと言う思いこそが、最も恐ろしい貧困です。」
この霊的な貧困との戦いは、私たち全員に呼びかけられている挑戦であり、あなた方には特別な役割があります。
それは私たちの優先事項に大幅な変更を要求するからです。

最も重要な事は、何を手にしたか、これが手にできるかという点にあるのではなく、それを誰と共有するのか、と言う問いの中にあると知ることです。
何のために生きてるのかに焦点を当てて考えるのはそれほど大変ではありません。
問題は誰のために生きてるのかと言うことです。
物も大切ですが、人間は欠けてはならない存在です。
人間不在な私たちは人間らしさを失ない、顔も名もない存在になります。
結局はただの物、最高品でもただの物でしかないのです。

(わたしは誰のために在るのか)
シラ書にはあります。
「誠実な友は、堅固な避難所。その魂を見出せば、宝を見つけたのも同然だ」
「私は誰のためにあるのか。あなたが存在しているのは神のため」でそれは間違いありません。
ですが神はあなたに、他者のためにも存在してほしいと望んでおられます。
神はあなたの中にたくさんの性質、好み、賜物、カリスマを置かれましたが、それらはあなたのためと言うよりも、他者のためなのです」
そしてこれこそが、あなた方がこの世界に差し出すことができる、素晴らしいものなのです。
社会における友情が可能であることの証人となってください!
出会いの文化、受容、友愛、そして一人ひとりの尊厳、とりわけ、最も愛され理解されることを必要とする人の尊厳に対する敬意。それに基づいた、未来への希望です。
攻撃したり軽蔑したりすることなく、他者の物豊かさを評価することを学ぶのです。

身体的に生きるためには呼吸が必要です。それは、意識せず自動的にしている行為です。
本当の意味で充実して生きるためには、霊的な呼吸を学ぶ必要があります。
祈りと黙想を通して、心の奥深い場所で私たちに語りかける神に耳を傾けること。
また、愛と奉仕の技によって他者に関わる外的な活動も必要です。
これは内的外的な動きによって私たちは成長し、神が私たちを愛しているだけではなく私たち一人一人に使命を固有の召命を託しているのだと気づきます。
その召命は、他者に、それも具体的な人々に自分を差し出すほどにはっきりと見えてくるのです。

(自分らしさ内面の美しさ)
もう一度繰り返しますが成長するため、自分らしさ、持ち味、そして内面の美しさを知るためには、鏡を見ても仕方ありません。
様々な発明がありますが、ありがたいことに、まだ魂の自撮りカメラはありません。
幸せになるには他の人に手伝ってもらう必要があります。
写真を誰かに撮ってもらわないといけません。
つまり自分の中にこもらずに、他の人、特に最も困窮する人のもとへと出向くことです。
特にお願いしたいのは友情の手を広げて、ひどく辛い目にあって皆さんの国に避難してきた人々を受け入れることです。

(自分自身への問いを)
かって賢い教師が言っていました。知恵を得るための鍵は、正しい答えを得ることよりも正しい問いを見いだすことだと。
皆さんにも良い問いを持って自分自身に問いかけてほしいと思います。自らに問い、そしてまた他の人が、人生の意味や次世代のために問いかけていきましょう。
皆さんの夢は、黙殺したり、ぼやかしたりせず、視野を広げ、広い地平を目指し、待っている未来を見つめ、共に夢を実現する熱意を持ちましょう。
霊的な知恵をはぐくみ、この人生において、本当の幸せへの道を見つけることができるように祈ります。

POPE IN JAPAN2019
Official Theme Song Protect All Life 時のしるし

宗教講話

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校長宗教講話 2019年11月12日
【祈り】
只今、田中愛美さんの1年目の命日に対する祈りをいたしました。
3年2組では、愛美さんの月命日12日に毎月祈りをおこなっていると聞きました。
それは、「私たちは、あなたのことは忘れないよ。私たちは、あなたといっしょにいるよ。だから安心して天国で休んでいてくださいね。私たちを見守っていてくださいね。」という祈りです。
カトリック教会では、11月を死者の月と定めています。
教会では死について次のように述べています。
「親しい人との別れは、だれにとっても悲しいことです。しかしキリストを信じる者にとって死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。」
「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします」
【受苦ということ】
今日は、「受苦」というお話をします。「受苦」とは苦しみを受けること。
昨日、何気なく新聞を見ていると、京都新聞の「天眼」(天の目)に鷲田清一さんのエッセイが載っていました。鷲田さんは、大阪大学や京都市立芸術大学の学長をされていたこともある哲学者です。
見出しは「私の宗教はコンパッションです」 「コンパッション」って何でしょうか。

続き

赤ちゃんだっこ。から命のいとおしさへ

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「ぼくもこんなに大切にされて生まれてきたんだと言うことがわかった」

学生と親子とのふれあい交流授業
開催要項
1.趣旨
(生徒にとって)
・これから親に世代が、子供に対する愛着や生命の尊さを感じ、将来結婚し子供を生み育てたいと思える機
会とする。
・自分・人・
命を大切にすること 、子供をもつことの責任を学ぶ機会とする 。
(子育て中の親にとって)
・子育ての実体験を活かし、次世代育成に貢献するやりがいや、学生たちとの交流から、長期的な視点で子
育てに関わることの大切さを感じる機会とする。
「聖書」の授業で「生命」について考える機会を 毎年 持って いるが 2018 年 度より実施しています 。
2.内容
○産後の母体回復の大切さなどをテーマにし、実際のお母さんや助産師をパネラーに学生とも対応しながら、
ディスカッションを行う。お手伝いとして子育て経験者の 男性 先生に依頼。

宗教講話「違いを大切にするーカナダの友人の残したもの」 

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今日は、「互いの違いを大切にすること」についてお話します。

1月19日からカナダのセントパトリック高校から8名の生徒が来ていました。
どのクラスにもとはいきませんでしたが、多くの生徒が出会い交流することができました。2月2日の土曜日に感謝のうちに元気に帰って行きました。

金曜日にさようならパーティが有り、カナダの生徒が準備してくれ、私たちを招待してくれました。中心になった特進コースの1/2年生はもちろんですが、授業や部活見学などを通して、友達になった多くの生徒も参加しました。総合や看護の生徒もホストファミリーの方に混じって楽しめたこと。看護科生や総合コース生の短期留学に続いて日星のカナダ交流の新しい1ページとなりました。
部活で仲良くなったという総合コースの生徒は、ラインのIDを交換してチャットをしていると聞きました。英語できるのって聞くと、ラインで日本語と英語の変換エンジンをグループにすると、「こんにちは」と書くと相手には「こんにちは」の下にGoodevning と出るし、向こうが、「How aboutなになに」 って書きこむとこちらには「何々はいかがですか」って訳が付いてくる。そんな手段でメールのやりとりが続けることができる時代になりました。
でも、どんな便利な機械があってもその人が「友達になりたい」って強く思わないとできません。「友達になれるといいな」とみんな思っていますが、一歩踏む出す人はなかなかありません。勇気をもって参加したみんなをすごいなって思います。

続き

京都司教 年頭書簡

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教会の《もてなし》の使命
~国籍を越えた神の国をめざして~
カトリック京都司教
パウロ大塚喜直
はじめに
ここ数年、日本は外国人旅行者が急増し、全国各地で外国人と日常的に出会う時代となりまし
た。2020 年には東京オリンピック・パラリンピックを控えています。グローバリゼーションが進
んだ現代は世界的な移住の時代であり、移住現象は「時のしるし」と言えます。この 50 年で世界
の移民は約 3 倍に増加し、2 億人を超える移住者が母国以外で暮らしています。この移住問題に
取り組むため、国際カリタスのマイグレーションキャンペーン「Share the journey」(日本では「排
除 ZERO キャンペーン ~国籍をこえて人々が出会うために~」)が実施されています(2017 年 9
月 27 日~2019 年 9 月まで)。
京都教区においても、ベトナム、フィリピンの技能実習生が小教区のミサに参加するようにな
りました。わたしたちは今まで以上に多国籍多文化の共同体づくりについて深く考え、積極的に
行動する時だと思い、今年の年頭書簡のテーマを難民移住移動者のことにました。最初に、聖書
の中での外国人に対するおきてを確認し、次に京都教区のこれからの教会共同体づくりについて、
基本的ないくつかの精神について、述べてみたいと思います

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